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引き抜かれた角の話

 冷凍車両の中からフックに引っ掛けた肉塊を引きずり出し、その場でクラッシャーに投げ込んでいく。轟音を立てている機械から吐き出されているのは、見慣れた豚の餌だ。
 午後の農園はいつも通りのどかで、今日も例外なく滞りナシだった。
 一通り作業を終えた私は、まだ稼働中のクラッシャー以外の機材を片付けながら、冷凍車両の運転席の窓をノックした。
「終わりましたよ」
 私の言葉に、腕を組んで眠っていた人影が顔を上げた。ずり落ちた眼鏡越しのくすんだ瞳がこちらを見た。
「ん、ご苦労」
 眼鏡の位置を直しながら、ベルナルドは背中をシートに沈めたまま、眠そうな表情を隠すことなく言った。
「確認は?」
 ミンチになっている途中の肉塊に目配せすると、ベルナルドもちらりとそちらを一瞥してから、どうでもよさそうな顔をした。
「お前の仕事に、疑問も不安もないさ」
 やる気なく髪をぐしゃぐしゃとかき混ぜる姿を呆れながら見つつ、流石に苦言を零す。
「サボリですか」
「たまにはいいだろ。今日は休みに……、きたんだ」
 ベルナルドは喋っている途中にあくびを挟み込み、また寝る体勢に入る。普段は仕事のし過ぎだなんだと部下からさえ怒られるベルナルドだが、この農園に来たときだけはワガママのし放題になる。
 ベルナルドは甘えているつもりなのかもしれないが、割を食う私の身にもなってもらいたい。
「ベルナルド」
 もう一度窓をノックすると、じとっと湿った目に睨まれる。
「昨日は名付け子が社交界デビューだったものだから、深夜まで同席していてな――」
「車、移動させますから」
 ベルナルドの言葉を遮って容赦無く言ったが、今度は黙り込んで渋り、運転席に籠城を続ける。
「サボるのは結構ですが、人の仕事の邪魔はしないでもらえますか」
 仕事、という単語を出すと、ようやくベルナルドはやれやれと肩をすくめて運転席から降りてきた。
 吹き込んだ秋風に猫背をさらに丸める男は、恨みがましい目で「寒い」とぼやく。
「最初から僕の部屋で待っていれば良かったんじゃないですか」
 仕方なく自分のヤッケを羽織らせると、それを大人しく着せられてからベルナルドが首を横に振る。
「一応、仕事で来てるからな」
 はあ、と言いたい気分になった。普段はフードの中に隠している髪が風にあおられてぐしゃぐしゃになるのを片手で押さえながら、ベルナルドに正当な文句を付ける。
「だったら仕事してください」
「やだ」
「ヤダってなんですか」
 明らかに私を困らせて喜んでいる風のベルナルドの扱いに困り始めると、流石にからかって遊ぶのはやめたようだった。
「分かった分かった、イイコで戻るよ」
 歳を棚上げして子供ぶったベルナルドは、ヤッケの前をぎゅっと押さえて踵を返す。
 やれやれと足元に置いたままだった、肉塊を吊るしていたフックを持ち上げたところで、ベルナルドが再び振り返った。
「ああ、コーヒー淹れておく。早く戻ってこいよ」
 それだけ言ってまた歩き出そうとするベルナルドを今度は自分が呼び止める。
「僕の作業は、まだかかりますよ」
「冷めるぞ?」
 また人の都合を無視するセリフを吐いて、ベルナルドはひどく楽しそうに笑う。
 本当に、最近になって特にワガママがひどくなった。デルサルトに似てきたとも言える。本人に言ったらショックを受けるかもしれないが。(俺はまだ若いとかなんとか)
「少しも待てないんですか、あなたは」
 なんとか本心は飲み込むと、ベルナルドは「善処するよ」とあさっての方向を見ながら言う。当然ながら少しも信用出来なかった。
「そうだ、ルート間違えずに戻ってくださいよ。カポを月まで吹っ飛ばしたとあっては、僕の首一つじゃ賠償しきれないので」
 万が一にも道を地雷原に外れないように、一言添える。
「なに、お仕着せのボスが消えたところで、次に誰かが同じ椅子に座るだけだ。俺がそうだったみたいに」
 自嘲をしたベルナルドに眉をひそめると、私の無言に察したのか先に彼の方が両手を軽く上げて降参してみせた。
「そんな顔するな。気をつけるよ」
 見えてもいない癖にベルナルドは簡単に答えて、今度こそさっさと砂利道を宿舎のほうに歩いていく。しゃりしゃりと涼しげな足音が、秋の風を余計に冷たく感じさせる。
 風が吹く度に、何年か前に植えた金木犀の甘い匂いが漂う。空は、ただまっさらに遠かった。きっと、澄んだ青をしているのだろう。
 クラッシャーが骨か歯を噛んで、一瞬、鈍い音を立てた。
 あの中に収まっている人間にとっては、この世界は苦しみでしかなかっただろうか。それでも世界は変わらない。世界の不変を不幸と思うのか、幸福と思うかは、誰の身にも勝手なのだ。
 私はこんな場所に身を置いているからこそ、余計に世界が美しいと思う。そう思うようになったのはいつからだったろうか。
 気づけばもう、ベルナルドの足音はしなかった。



*



「山の向こうに幸せがあるそうだ」とまだ出会って間もない頃、ベルナルドが誰かの言葉を揶揄していた事を“こうなってから”よく思い出すようになった。
 刑務所を抜け、ベルナルドの顔の左側面に広がっていた黄色い痣の色がようやく抜けてきた頃で、それは私が初めて見た彼の人間らしい内面だった。
 私はまだ年若かった彼がどうにか見せた素顔の卑屈さに呆れて、それから少しだけ安心した。
 デルサルトが二度と組織に対する裏切りを考えられないように仕込め、と乱暴な理由で寄越してきた若造を、なんとかそうできそうだと目処がついたので。

 デルサルトは(彼が歴とした犯罪者だということに目をつぶれば)悪人ではなかった。
 ただし、善人でもない。
 神でもなく、悪魔でもなく、どうしようもなく彼は人間だった。
 庇護は与えても、善良な市民を救いもしないが陥れもしない、人ではなくいつか刈り取るべき麦として扱うそれは、単純に街と組の舵取りだった。
 同じようにベルナルドも、救われたのではなかった。頭の良い彼はじきに慈悲から手を差し伸べられたわけではないと理解したが、だからこそ逆に求められていると感じたらしくデルサルトに怯えながらも死にたがるのをやめた。
「あの人に殺されなかっただけ、まだマシだ」と笑いながら。
 けれど諦めた顔をしながらも、幸せはどこにあるのかとベルナルドが口にしたので、私は呆れたのだ。
 仕方なくその時も「あなたは幸せになりたいのですか」と問いかけた。
 あの時彼は、随分と時間をかけてから「俺は、何処に行きたいんだろうな」と呟いたのを覚えている。



*



 家畜の餌箱に飼料を注いでいると、カツンと背後からコンクリ床を叩く自己主張の強い足音がした。
「ラグ」
 そう私の名前を呼ぶ、ベルナルドの手には最近彼が揃いで買ってきたマグカップがあった。
「こんなところまでわざわざ……」
 呆れた声を出すと、汚れた床を気にすることなく革靴で歩いてくるベルナルドにぎょっとしたが、本人は私の顔を見てからようやく自分の足元に視線を落とし、ああ、と声をもらしただけだった。
「やっぱり、確認しておこうと思ってな」
 そう言いながら、この場に不釣合いなほど真っ白なマグカップを差し出してきたベルナルドの顔とカップを見比べてから、諦めて受け取った。
 飼料にしている血肉と豚の堆肥の臭いの中、口にするコーヒーは当然ながら不味かった。キャンプで体温を上げるためだけに飲んだ、コーヒーと言い張っていた薄い泥水よりはマシだったけれど。
「これ、どうしたんだ」
 同じコーヒーを飲みながらベルナルドが、部屋の隅に置かれた傾いた机の上に置かれたものを持ち上げる。
「この間チャイナタウンに行ったときに仕入れたものですよ」
 ベルナルドが手にしていたものは、一対のカリブーの角だった。
「ああ、先代に頼まれたのか」
 カップをテーブルに置くと、ベルナルドがハロウィンの仮装でもするように小振りな角を自分の頭に当てて見せる。
「よく分かりますね」
 デルサルト本人がそうと彼に言っていたのか判断が付かず生返事をすると、ベルナルドがにぃっと笑う。
「一緒にパーティに参加した時に、滋養強壮だのなんだのってウンチク語ってたジジイがいてね。……帰ったら領収書切らないように、ジョバンニに言っておかないと」
 ベルナルドは角をもう一度数秒眺めてから、テーブルに戻した。
「……僕には払ってくださいよ?」
 決して安い買い物ではなかったから、念のために釘を刺しておくとベルナルドは当然だというように頷いた。
「アレッサンドロ顧問の財布から払わせるさ」
 頼もしいセリフに、私の不安はなくなる。ベルナルドの金勘定ほど信頼出来るものもない。
「カリブーの角は受信アンテナに似てるよな」
 テーブルに戻された角を指で弾き、ベルナルドは私に向き直る。
「それで、何を受信するんですか」
「さあ」
 もう興味を失ったかのような顔をしたベルナルドは、マグカップを再び手にしていた。
「でも抜け落ちるものなら、本当は角なんてなくてもいいんだろう。たぶんな」
 生物学を丸々無視していそうなベルナルドのセリフにふっと笑う。
「ないと困るから生えるんでしょう?」
「じゃあ俺がデスクの上を片付けられないのも、必要だからだな。ないと困るから荷物が増えるんだ」
 ベルナルドは最近誰かにそんな文句を言われたのか、コーヒー以上の苦さを味わった顔をみせる。
「屁理屈こねても、それは不要なものですよ」
 誰かも分からないが、かわいそうなベルナルドの部下に同情しながら言うと、ベルナルドは「お前もかブルータス」とぼやいた。
「それにしても……悪趣味ですね」
 ぐちゅぐちゅと飼料を咀嚼する音と、豚の鼻息と鳴き声が混ざり合ってるのを聞きながら笑みを浮かべてコーヒーを飲み干すベルナルドにまた呆れ、処理されていくモノにまた視線を投げる。
「人のこと言えるか?」
 ゆったりと笑みを深めたベルナルドに頭を振った。
「僕は笑ったりしません」
 そう言えば手が伸びてきて、普段よりカップの熱で温い指先に口の端をなぞられる。
「――これは平常時です」
 ぺしりと彼の手の甲を跳ねると、ベルナルドは肩を竦めた。
「俺は笑ってるか?」
 どこか他人事のように問いかけられる。カップをテーブルに戻した男の背中に簡単に答えた。
「そう見えますが」
 そうか、とやはり彼はどこか心を置き去りにしたように言ったので、頼りない腕を掴む。
「仕事はどうですか」
 私の唐突な言葉にベルナルドゆっくりと瞬きをしたが、やがて小さく頷いた。
「忙しいな。先代の苦労がしのばれるよ」
 仕事の話をし始めれば彼は普段の彼の顔に戻ったので、そっと手を離す。
「意外と合ってるようですが、カポ・オルトラーニ」
 意識してはっきりとした笑みを浮かべると、ベルナルドは照れ臭そうな表情になって顔をそらした。
 雰囲気は和やかだったが、BGMになっている豚のざわめきはそのままで、それでも彼は言葉を継いだ。
「……ん、気苦労はあるけど、そうだな……悪くない」
「下の面倒を見るのは楽しい?」
「それもあるな」
「デカイ金を転がすのも面白かったが、人を見るのも転がすのも嫌いじゃない。未来が、な……見える気さえする」
 柔らかな声音だった。ずっと誰かの陰でいる事を望んだ振りをしながら足掻いてた男は、ようやく本当の望みを歩こうとしている。
「それで、俺はこのあとレポートカードでも貰えるのか?」
 ベルナルドが私の顔をのぞき込み、にっと微笑んだ。
「……半端ものの僕が、あなたに成績を付けるなんておこがましい事、出来ませんよ」
 苦笑して言うと、ベルナルドは首を横に振った。
「ラグ、お前は血筋なんて関係なく、俺の友人だろう?」
 そう言ってきたベルナルドの顔をまじまじと見ると、子供のような目は本当にそう思っているのだろうと分かる。セックスをする友人、という疑問は捨て置いた。
「それで、今日は泊まっていくんですか?」
 誤魔化しに口にした言葉に、ベルナルドは頷く。
「言っただろう、休みにきたって。部屋で一人でいるより、こっちの方が気が楽だ。護衛もつけなくていいしな?」
 口寂しくなったのか、ベルナルドはそう言いながら懐から出した煙草を咥えた。
「別料金取りますよ? あと豚舎では禁煙です」
 彼の唇から紙巻きを拾い上げ、ポケットに裸のまま戻して差し上げると、ベルナルドは眉間に皺を寄せた。ようやく意趣返しを果たせて気が済んだので、赤茶色に汚れたバケツを拾い上げた。
「やれやれ、食事もつくらないといけませんね」
 外に足を向けるとベルナルドを一歩私についてきてから、立ち止まる。
「……お前が?」
 言われて、そう言えば普段、ここに来たベルナルドが自分で勝手に料理をしていた事に気付いた。さっき仕事を邪魔された仕返しは、もう少し上乗せできるらしい。
 得体のしれないものを食わされるんじゃないか、と書いてある顔に、私はにこりと笑みを送った。

*

 イタリア語の乾杯が聞こえて、ちりんと鳴らしたグラスを傾けた。
「料理も出来たんだな。何十年と一緒にいるのに、初めて知った」
 ベルナルドはワインを口にすると、早速オムレツの腹をスプーンで割りながら私に言う。
「レシピ通りに作るのなら出来ますよ。味は保証出来ませんが」
 スプーンを口に運んだベルナルドは目を細めて咀嚼すると、「美味しい」と呟いた。
「飲みすぎないで下さいね」
 ベルナルドが手にしているグラスを視線でなぞると、彼はふっと息を漏らして笑い、中身をあおった。
「勃たなくなるから?」
 会食の席であったならそれなりに似つかわしそうな言葉を口にするベルナルドは、私が笑いもしないのが余計に面白かったらしくクスクスと声を立てる。
「勃たなくたって問題ないでしょう、あなたは」
 猥談に呆れながらも付き合うと、年より若く見える笑みを浮かべた男は、空中に文字を書くようにスプーンをゆらりと揺らす。
「突っ込むかどうかはお互いの気分次第だろ? お前が勃たなかったら、俺のを使うしかないしな」
 涼しい顔で歌ったベルナルドに、最初にベッドでマグロを晒したのはどっちだとか、年上は自分の方だとか、言いたい事が山と浮かんだが無駄としか思えなかったので口にするのは止めた。
「……もう酔ってますか?」
「どう思う?」
 まだ半分も始末していないオムレツに再びスプーンを突っ込みながら言うと、路地で客引きをしている女のような声音で彼は言う。
「食事はちゃんと、とってからにしてください」
 食事を口に運ぶだけの機械になろうとすると、ベルナルドも諦めたようだった。ようやく、カチカチと皿とスプーンの触れ合う音が行き来するようになる。
「お前は存外に堅物だなァ」
 バケットをちぎりながらそう投げかけてきたベルナルドを一瞥し、ふっと鼻で笑う。
「食事中にサカる趣味はないってだけですよ」
「食欲と性欲は密接な関係があるんだぞ?」
「薀蓄自慢は結構ですから……ほら、食べこぼしてますよ。子供じゃないんですから」
 口元を汚しているケチャップを指で拭ってやると、ベルナルドは嬉しそうな顔をする。きっとわざとつけていたのだろう。
 ベルナルドはトップに就いてから半年の間で、弱さを見せる相手は私だけに定まってしまったらしい。
 あの組織の中では誰にも寄りかかる事が出来ず、私を選んだ。ただ、貯金されていた時間が成しただけの関係だったが、昔のベルナルドのように言うのなら、それが似合いだとも思えた。
「ラグ、キスが欲しい」
 命令でなく懇願で言われ、苦笑する。
「まだ残ってますよ」
「もう十分だ」
 手が伸びてきて胸元の布を引かれた。
 肩を竦めると早くしろと笑いかけられる。仕方ないので立ち上がると、ガタリと膝の裏で椅子が揺れた。
 テーブルに手を付け唇を奪うと、ベルナルドはさっきまでの情欲よりも安堵したかのようにため息をつき、目を閉じた。



*

「ベッド、もっと広いの買えよ。俺が出すぞ?」
 硬いマットレスの上に腰掛けたベルナルドが私の背中にそう投げかけたので、脱いだヤッケを椅子の背もたれにかけながら返事をする。
「嫌ですよ。僕はこれくらいが一番居心地がいい。それに、そんなことしたらあなたが入り浸りそうですし」
「迷惑か?」
「毎日こられたら迷惑ですね」
 きっぱりと言って隣に並んで座ると、ベルナルドは愉快そうに笑った。
「今でも俺にそんな口を利いてくれるのは、お前くらいだよ」
「なに喜んでるんですか」
 行儀悪く脱ぎ捨てられた高級そうな革靴を並べ直すと、ふわふわと微笑んだ男が首にまとわりついてくる。
「あの街の王を抱いてるんだ。興奮しないか?」
 さっきのワインか、自家製の脳内麻薬だかに酔っている男のスーツを脱がしてやりながらも、声音から呆れだけは隠しきれずに言う。
「僕にそういう趣味はないんで」
 けれどそんな私にも構わず、脱がされていく事にさえ明らかに喜んでいる男は、私の額にひとつキスを落とした。
「俺は興奮するけどな。何もかもを手に入れられる立場になって……、それなのに今こうして豚の声を遠くに聞きながら、足を開こうとしてるのかと思うと……」
 ベッドの上でマグロも面倒だが、口数が多いのも考え物だと思いながらベルナルドの肩を押しベッドに身体を押し付けると、彼がしたのを真似て同じ場所にキスをする。
「ほんと……妄想たくましいですね、あなたは」
「想像だ」
 ネクタイに手をかけると、明らかにうっとりとした表情を見せたベルナルドにため息をついた。
「言い換えても同じですよ」
 シュル、と音を立てて解けたネクタイをヘッドボードに投げ、首元を緩めて喉を指でなぞる。
「大体、これは現実じゃないですか」
「そうだったな」
 笑みを浮かべたベルナルドに、服と本当は夜付けている必要のない遮光用の眼鏡を外され、眼鏡はベッドサイドへ、服はベッドの下に放られる。私もベルナルドのシャツをはいで、これは一応椅子の上に投げた。
「ひどくされたいですか?」
「いや、優しくしてくれ、ハニー」
 甘ったる声で背中に腕を回してきたベルナルを抱きしめ返して、そっと耳元で「ダーリン」と囁いた。
 一瞬、息を飲む声がしてから、くすくすと忍ぶように笑う声が耳に届く。
「恋人同士みたいだな」
 さっき友人と言っていたのを棚上げしたセリフに苦笑し、唇を重ねようとするとベルナルドの顔がそれて私の胸に触れた。
「痛いか……?」
 ベルナルドは私の身体に無数とある傷痕に、ちゅ、ちゅ、と音を立てるキスを落として行く。
「もう随分と昔ですからね。よっぽど寒い日か、雨の日でもなければ平気ですよ」
「そういうものか」
 キスを超え、ぬるりと生温く湿った舌が薄く膜張った傷痕を這う。吐息の熱と、唾液で冷やされる感触に背が震える。
「――、ベルナルド」
「気持ちイイか?」
 濡れた場所を指でなぞり、上目づかいに私を見ているベルナルドは、私が微かに頷くとふわりと笑みを浮かべてまた傷に唇を触れさせた。唇だけで噛むように動かされ、じわりとくる快楽を止めるように彼の口元に掌を差し込む。
「あなたが僕に奉仕してどうするんですか……」
「するのが好きなんだよ、俺は」
 私の手を不満そうに押しのけようとする手首を掴んで、枕に押し付ける。
「優しくしてくれって頼んだのは、ベルナルドでしょう?」
 彼の耳を噛み、優しく虐めてさしあげますよ、と吹き込むと期待してか、喉が上下するのが見えた。
「……、ラグ」
 片手を押さえつけたまま、留め金を弾いてベルトを抜く。片手は自由になるのに彼は当然のように抵抗しなかったので、両手をまとめて手首より下でベルトでまとめる。
「相手が協力的なレイプっていうのは、ただの和姦な気がしますけどね。想像で補完しますか?」
 ベルナルドのスラックスを死体から脱がすより簡単に下着ごと引き抜きながら言うと、ベルナルドはくつくつと喉を鳴らして笑った。
「そうだな――命令してくれよ、俺に」
 どうしようもない望みを口にするベルナルドに乗って、答える。
「それは、カポからの命令で?」
 ただの形式上のやり取りを、ことさら楽しそうに受けとるベルナルドの手首にキスをすれば、返事のようにまた胸にくちづけられた。
「……足、開いて」
 耳元に直接囁くと、ベルナルドは頷いておずおずと足を開く。開かれた場所で半端に立ち上がっているペニスを指で弾くと、彼は息を飲んでビクリと身体を竦めた。
「痛くはなかったみたいですね」
 跳ねて固くなりつつある場所を掠めるように撫でてから、立てた片膝の裏を掴んでさらに足を開かせて覗き込む。
「あなたのココは、僕の目にはボーンチャイナと同じ色をしているように見えますね」
 真っ白な場所を空いた手で胸をたどりながら言って、意図の読めないベルナルドに微笑みかける。
「ねえ、教えてくださいよ。どんな色をしているか。ここは?」
 胸から腰に指を動かし、茂みを越えて竿をなぞる。乾いている場所は、それでもびくりと反応する。
「……ふ、ン」
 視線で私の指を追っているベルナルドに見せつけるように、ペニスの先を僅かに指で挟み込むように扱いた。微かな先走りが指にぬめる。
「ここは……、こっちと同じ色をしているんでしょう?」
 開かれた奥に指を這わせ、まだ閉じている入り口をこねると、今度こそベルナルドは喉を晒した。
「――ぅ………、ラグ」
 掠れる声と縋るような視線を向けるベルナルドの太腿にキスをする。
 プレイとしての温い言葉責めでも彼は十分興奮しているようで、本当にベルナルドが言うような恋人にしている気分にさえなる。
 自分でも半ば無意識に袋に舌を伸ばすと、足が閉じようと動いたので押さえつけてぐっと腰を上げさせた。
「ア……、ぅ」
 呻き声を無視して皮を甘噛みするように舐め、舌で続く筋をべろりと舐める。
「ぅうー……、いや、だ」
 体勢の事を言っているのか、そこを舐められるのが嫌なのか分からなかったので先を続けて舌先を捩じ込むと、ベルナルドの腰と拘束したままの腕がびくんと跳ねた。
「ラグっ…も、いい、から」
 涙目で今更逃げようとするベルナルドの言葉を鼻で笑い、ヒクヒクと動いている場所を唾液で濡らすように舐める。
「乱暴にされるのは慣れてても、丁寧にされるのは嫌?」
 私の問いかけには答えず、いやいやと首を振るベルナルドの奥に今度は指を差し込むと、子豚を絞めた時のような声が聞こえた。
「ひ、く、ぅ……ふ……―らぐ、ぅ」
 指を増やしながら押し開くように動かすと、すすり泣くような声が漏れる。
「ベルナルド」
 本当に怯えたような表情を浮かべたベルナルドを安心させるために笑顔を貼り付け、こちらに意識をやったのを見計らって、半端に脱いでいたスラックスもそのままに腰をあてがった。
「っ、――ひぅ、ぁ……あ、」
 ほぐれた場所にあっさりと沈んだ自分の先端を確認して、ゆっくりと奥まで突き立てる。苦しいのか、荒い息をしているベルナルドの唇を吸ってベルトを解いた。それが自然な形だと言うように、背中に腕を回される。
「は、ぅ…、っァ……あ、ぁッ」
 体重で奥を押しつぶすように腰を揺すると、肺の中の息を全て吐ききるようにベルナルドが喘ぐ。
 殆ど触っていないベルナルドのペニスが彼の腹の上で暴れ、透明な糸を引いている。
「こっち、触って欲しいですか?」
 さっきまでと同じようにペニスを指先だけでなぞると、ぎゅっと差し入れている場所が締まって息を詰めた。
「い、い……ラグ、だけで…」
 私をぎゅっと抱き寄せ、イク、とか細い声でベルナルドは呻いた。
 溺れるように短い息をするベルナルドの頬を撫でて、腰を両手で抱き寄せる。
「―、ぁッ」
 角度を付けて中を何度か擦ると、ベルナルドは短い悲鳴を上げてあっさりと果てた。びくびくと射精に合わせて跳ねる足を舐めると、彼は目を閉じ、掠れた声で泣く。
 ペニスを引き抜くと、ずるりと明らかに唾液以外の粘液で濡れていた。自分の顔にまで白濁をぶちまけたベルナルドが、ようやくぐったりと身体を横たえ、肩で息をしている。
「ラグ――、イって……」
 仕方のない事を言おうとするベルナルドの唇を塞ぐと、彼は大人しくなった。顔についた精液を舐めとって、私はついでのように「愛してますよ」と昔のベルナルドのように言う。
 ベルナルドは一瞬目を見開いて、それから緩く笑った。

*

 眠っているベルナルドの髪を撫でながら、ほんの半年前の事を考えていた。
 拝命書を手渡された儀式の後、その足で礼服を着たままのベルナルドが真っ青な顔をしてこの農園にやって来た日の事を。
 正確には組織の人間でない私にだけ見せることの出来る幼い表情で、怯えの言葉を吐いたこと。
 その頃、ベルナルドは沢山のものを失っていた。そしてそれは、あの組織も同じだった。
 失われたものは、穴埋めされなくてはいけない。でなければ、そこから崩れて朽ちていくのだ。人も、組織も。
 組織の穴は、ベルナルドがその身で埋めた。
 では、ベルナルドに空いた風穴を誰が塞げたのだろう。私にも、誰にも埋めれない、その傷を。
 唐突にベルナルドの言った言葉を思い出した。あの角を手に、抜け落ちたものならば、と。
 ――それは本当に必要のないものだったのだろうか。

 真っ暗の闇の中、身をよじったベルナルドがうっすらと目を開け、ぼんやりと私の方を見た。
「起きましたか?」
「ん……」
 むずがったベルナルドの目元を撫でると、彼は私の手に自分の手を添えた。
「ラグ、寝ないのか……?」
 犬猫や仔豚が体温を分け合うのと同じように寄り添っているベルナルドが、もっととねだるように身体をぴったりとくっつけながら言う。
 触れ合っている裸の胸から、セックスをしている時よりゆったりとした心音が伝わってきて、心地が良かった。きっとこれは、ささやかな幸せなのだろうと思った。
「…………、ベルナルド、あなたは幸せですか?」
 思わず口をついた言葉を引っ込める方法はなくて、訂正しようと開いた唇を迷って、閉じる。
「どうした、急に」
 ぺたりとベルナルドの手指が私の頬に触れた。
「深い意味はありませんよ――。昔、そんな事を僕に聞いたじゃありませんか。覚えていないかもしれませんが」
 咄嗟に言葉を取り繕い、私の輪郭をなぞるベルナルドの細い指を拾い上げて、その爪先に唇を付ける。
「覚えてるよ。お前こそ、よくそんな昔の事――」
 じっとキスを受けた指先を見ながら、ベルナルドは呟いた。
「……そうだな。昔よりは、そうなのかもしれない。迷って、悩んでいた頃より」
 女のような華奢な仕草で、ベルナルドが同じ場所に唇を触れさせて私を上目遣いで見る。
「きっと、これが幸せなのかもな」
 過去にはなかった笑みを浮かべているベルナルドは……今だけなら健常者のように見えた。
「僕の願いは、あなたが救われることだったんです。今気づきました」
 唐突にこぼれ落ちた言葉に、一体いつからそう思っていたのだろうかと自分に問いかけた。
 幸せは、あの山の向こうに。そうベルナルドが言った頃から、無意識に願っていたのか。今分かるのは、もうそれを知る方法はないだろうという事だけだった。
「ラグ……?」
 私の意図を読めずにじっとこちらを見ている深い瞳孔に、私には知ることの出来ない場所に、囁いた。
「あなたが今、痛くないのなら僕はそれでいいと思います。ジャンカルロさんも、きっとそう思っているはずです」
 ベルナルドの呼吸が途切れた。
 瞳が瞬かれ、彼はポツリと呟く。
「誰だ、それ」
 ――やはり、彼は幸せなのだろう。ひとつの間違いもなく。
「誰でもないですよ。もう寝てください」
 ベルナルドの頭を撫でると、彼はふわりと笑って目を閉じた。そこに暗闇への恐怖は、欠片だって感じられない。
 傷の場所さえ彼方へと消えたのだ。彼に痛みを自覚する術はもうない。
 私は幸福を覚えているであろう男を抱き、胸に居座った重い石と向き合うしかなかった。温もりを抱きしめたまま、見据える暗闇には憎むべき相手は存在せず、この腕の中に“誰か”いるのかさえ疑わしい。





“その角を引き抜いたのは、誰だ。”
“Who drew his horn.”





※この小説は米津玄師さんの絵本「幸せな毎日」のダブルパロです。