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デスサイズ、或いは黄泉竈食ひ

 ノックの音が二つあった。
 今日は執務室に人の出入りが多かったので文章を作る手は止めずに、空いている手でデスクに積まれた俺の誕生日を祝うカードの束を寄せ、生返事で来訪者を通す。
「こんにちは、ベルナルド」
 気安くファーストネームを呼ぶ、けちょんとした声にようやく顔を上げた。
「ああ、ラグか」
 もう時期的に暑苦しく見えるヤッケをまとった男が、フードを下ろしながら室内に入ってくる。
 腕時計に視線をやると、いつの間にかラグが来る予定時間は過ぎていて、思ったより仕事に集中してしまっていたことに自嘲した。
 ラグが執務室に来た時点で、執務室の立ち番をさせていた部下には人払いを命令してあったので、軽く伸びをして休憩にでも入るつもりで椅子から立ち上がる。
 執務室の応接とは名ばかりの、休憩用に誂えられたソファに座り直すと、慣れた様子でラグが向かいに腰を下ろした。
 テーブルに置かれたサーモスに手を伸ばそうとすると、ラグがそれを遮り、カップにコーヒーを注いでくれる。
「Gelukkige verjaardag, Bernardo.」
 聞き慣れないが覚えはある言葉と共に、カップを差し出される。
 耳にやけに残る声と、湯気と煙草で汚れた鼻腔を洗う温かな香りに、目を細めた。
「母国語か?」
「ええ」
 普段は外に晒さない、長い髪を揺らした男のいやに優しい声音と今日の日付で、そのオランダ語の意味は察する事が出来た。
「言葉ってのは不思議なもんだな。見慣れた顔でも、知らない言語を口にしているだけで他人に見える」
 カップを受け取り口をつけると、ラグは自分の分の甘ったるいカフェラテを生成し始める。
「言葉は感情と意志の通貨ですからね。お札に印刷されてる人種が変われば、優劣も変わりますから」
 薄いチョコレート色をしたカップの中身をかき混ぜながら、ラグが呟いた。銀のスプーンにかき混ぜられる、恐ろしく甘ったるいだろうその中身に溶かされていく辛辣な言葉が耳に心地良い。
「……なに、洗濯が出来るなら、俺はなんだろうと構わない」
 カップを半分ばかり空けながら言うと、ラグの横に引いた線みたいな形の口元が、ゆるりとつり上がる。
「僕は、あなたのそういうところが、嫌いではないですよ」
 嫌味の綯交ぜのなったリップサービスに、イタリア語で答えた。
「Grazie mille.」
「Graag gedaan.」
 やはり、ラグは知らない言語で言い、自分のコーヒーに口をつけようとし――何かを思い出したかのようにカップを下ろした。
「これ、プレゼントです。いつものですけど」
 そうしてラグは、腕に挟んでいた大判の封筒を差し出す。
 プレゼント、と言われて中身が分かったので、我知らずほくそ笑んでいた。
「差し上げる僕が言うのもなんですが、どうかと思いますよ」
 受け取った封筒を早速開いた俺に、ラグは咎めるような声を掛ける。
「嬉しいものは仕方がないだろう。それに、お前がそう考えてくれてるから、俺は安心してブレーキを任せておけるからな」
 無責任に吐き捨てると、ため息が返ってきた。
「状況が良ければ、何より嬉しい言葉なんですけどねえ」
「フハハ」
 封筒の中身をテーブルに並べながら笑うと、それ以上は諦めたようだった。ラグはぬるそうなカフェラテで唇を濡らしながら、俺の手元を眺めている。
 今年の贈り物は、わざわざカラーで撮影された写真だった。
 添えられた書類は、普段ラグが仕事で使う偽造の死亡診断書と死亡届の写しで、カラー写真の中でミンチになった男の生前のマグショットがモノクロなのが、いっそ憐れに思えた。
 擦り切れたフィルムのような記憶の中で、確かにこの男があの場所にいた事を覚えている。吐き気を通り過ぎた感情から、椅子に項垂れたまま、鉈でぱっくりと割り開かれた頭の中身の晒す男の灰色と赤を指でなぞる。
「来年は映画がいいな」
「機材がもう少し小型化するか、そちらのスタジオをお借り出来るなら」
 俺の冗談に被せられた言葉に視線を上げると、ラグは心底困ったという顔で苦笑した。
「……やりませんよ?」
 分かっている、と言う代わりに机上にぶちまけられたブラッドバスを封筒に収め直した。あとはするりと世界はなかったことになる。
「――あと何人だ」
 仕事の話の延長のように言うと、ラグは指折りして首を横に振る。
「そう残っていませんよ。手を下す前に勝手にくたばってしまう方も少なくないですし、職業柄」
「四十までは、楽しませてもらいたいものだな」
 紐を留め直した封筒を傍らに置くと、じっとラグが俺を見ていた。
「……どうかと思いますよ」
 もう一度発せられた小言に、記憶に薄塗りされていた興奮が冷めたので、思わずマフィアの世界に引き込んでくれた男に対して皮肉を吐いた。
「俺をこうしたのは、この組織で、先代で、そしてお前だろう?」
 もっともそれは、死にかけた若造の唯一の生きる術ではあった。
 色の濃いレンズの向こう側でラグがゆっくり目を細めたのに、ちくりと良心が傷んだ。
「……――俺はお前と共犯になれて、嫌じゃないさ」
 だからそれ以上言わないでくれ、と無言で強いる、卑怯な物言いをした。