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ホットケーキの日

 砂糖さえ入れないコーヒーと煙草の煙、それから便所紙に等しい札束だけを糧にしている自分が、こうしているのは似合わない自覚はある。
 チリチリとフライパンの焼ける音にボウルの中身を流し込むと、やがてゆっくりと甘ったるいミルクとバターの焦げる匂いがした。プツプツと表面に気泡が出来るのを眺めながら、思い出したようにラジオのスイッチを入れる。
 いつもはニュースしか聞こえてこないはずのスピーカーからは、いつの間にか誰かが周波数を変えていたらしく、ブルースが聞こえてきた。一瞬、手が止まったが、その誰かには心当たりがあった。それに、嫌いではない。
 キッチンから奥のベッドルームに視線をやって、戻した。カスタードクリームと同じ色の塊をフライパンの上で返すと、綺麗な焦げ目が見えて思わず笑みが溢れた。こういう、ささやかな幸福に笑うことに違和感を覚えて、それは苦いものに変わってしまったが。
「ベルナルド」
 背後から声をかけられ、扉の方に視線をやるとまだ寝ていた筈のルキーノが立っていて、珍しくスリッパも履かずに素足でぺたぺたと部屋に入ってきた。
「まだ早いぞ? ……ああ、うるさかったか」
 フライパンを手にしたままそう言うと、ルキーノはノンと首を振った。
「いい匂いがした」
 いつもより低い寝起きの声のくせに、ふにゃりと笑う顔に多少、面食らった。よく見れば目の前の男は、寝癖も直さずにベッドから抜け出したままの格好だっ た。昨日は大分遅い時間にこの部屋に顔を出したのだし、それも当たり前なのかもしれないと無理矢理自分を納得させ、テーブルにふらふらと座ったルキーノの 前に皿を置き、焼けたばかりのパンケーキのポンと乗せる。
「メイプルシロップは?」
「いる」
 テーブルに置かれた篭からナイフとフォークを取り出しながらルキーノは即答して、俺が冷蔵庫から瓶を取り出すより早く皿の上のモノに手を付け始めた。
「飲み物は?」
「オレンジジュース」
 やはり間も置かずに返された言葉に笑い、グラスにオレンジジュースを注いで差し出した。
 俺はパンケーキを焼く前にいれて忘れていたコーヒーを注いだマグカップを片手に向かいの席に座り直す。
 子供が食うみたいな食事を黙々としている寝起きの男を眺めながら、冷めたコーヒーを口にしているとまるで親のような気分になった。ジュニア、と呼ぶには少々規格オーバーのサイズではあるが。
 その男の手によってパンケーキは欠ける月のように、ゆっくりと削り取られていく。下から顔を出す白い皿と溢れ染みたとろりとしたシロップが光を反射していた。
 態度は子供のようなのにナイフとフォークをつかう手つきはいつもの通り完璧で、俺が後から付け焼刃で身に付けたテーブルマナーとは違って、教科書を模倣 しているのともまた違う、ゆったりとした余裕と色気がある所作で、だから俺はほんの数十分だが先に起きだしてきてこんな事をしていたのかと今更気付いた。
「……美味いか?」
「ん」
 問いかけに頷きだけ返ってきた。それで構わなかったのだから、やはり“そう”なのだと自嘲する。
 皿の上にはもう一口分しかパンケーキは残っていなかった。
「こうやって見ると、子供と変わらんな」
 思ったことをそのまま言ってみると、ルキーノが跳ねた前髪を揺らして顔を上げた。
 最後のひと切れをフォークで刺し、柔らかな菓子を咀嚼すると、手で椅子も下げずにガタンと音を立てルキーノは立ち上がる。
 男二人には小さなテーブルを軽々とルキーノの手は横断して、俺の胸元を引っ張った。テーブルの上で皿と、カトラリーが触れ合って音を立てる。コップは倒れなかったようだった。
「ガキがこんなもの欲しがるか?」
 触れて、離れたあとに、息の触れる至近距離で問いかけられる。
 その手は、いつもより熱かった。
「目の前のものを我慢できないのは、子供だよ」
 唇に移った甘いシロップを舐めとりながら言うと、ルキーノは鼻で笑った。