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前方不注意

 ルキーノはキスが好きだ。
 ベッドの上でどんなに虐め倒しても、口づけだけは拒否しない。
 乱れた髪に指を通して、薄らと汗の浮いた額に唇を落とすと、それだけで「背中が痛い」だの「体勢が苦しい」だの、文句を言っていた口は静かになり、縋るように手を差し伸べられる。
「――こっちも、だろ?」
 熱っぽい息を吐き、鈍く笑みを浮かべる赤毛を乱した男に、肩から首へ撫でられると、どうにも我慢が効かなくなる。
 それでも焦らすように唇の端をちらりと舌で舐め上げ、頬に音を立てて何度かキスをする。焦れたルキーノが足を腰に絡めてきたところで降参した。
 溺れているな、と思う瞬間がある。
 頭の芯からじわりと痺れて意識が失せて行くような、心地のいい呼吸困難に、夢を見ているんじゃないかと思う。
 目を覚ませば、埃に塗れあのキャンプにいた頃か、劣等感を抱きながら大学に通っていた頃が、それともあの泥濘としか言いようがなかった塀の中に戻るんじゃないかと恐れている。
 女々しい言い替えをするなら、「王子様のキスで目覚める先が地獄」だなんて冗談じゃないと、考えているのかもしれない。
「どうした……困った顔して」
 こつりと額をぶつけられて、何だか泣きそうになった。
 慈悲深くも俺に王子様とやらがいたとしたのなら、この男ではなかったはずだ。
 そんな風に益体もないことを思うのは、昔の恋を引きずっているとか生温い感傷ではなく、どこかで引け目があるからだ。同じ外道に身を置きながら、俺とは違う――ジャンと近い、宝石みたいな男に手を出すことが。
 自家毒を振り払って、顔を見られないように唇を重ね、舌を吸う。
「ん――、ふ…く……」
 とろりと瞼を下ろしたルキーノの傷を撫で、唾液ごと舌を絡めながら震える唇を甘く噛むと、突っ込んでいる場所がひくりと反応する。貪るままに腰を進めると、喉から細い悲鳴が響いて俺の身体に直接届く。
 繋がっている場所から上がってくる快楽よりももっと、その呻きがひどく愛しい。
「っ、ぅ……ん、んン…」
 苦しげな声とは裏腹に、キスをしたまま腰を揺すると、律動に合わせてルキーノの身体が小さく跳ねた。きつく締まる後孔に負担をかけすぎないよう、浅い場所を突くと、とろとろとルキーノの口の端から唾液が溢れる。
「き……つ、…は――ベル……」
 涙の浮いている目元にもキスをすると、ルキーノはくすぐったそうに身を捩った。
 愛しく思うのに、どうしてこうも苦しいのだろうか。
 身体は気持ちいいし、触れられれば嬉しい。満たされている。――だからこそ、どこかが張り裂けて血を吐きそうな気持ちになる。
「ルキーノ……」
 名前を呼んだら返事のように、当然といった顔で鼻先に子供がするみたいなキスを返された。
 手を伸ばし、抱きしめて、その首筋や耳元にキスをしながら「愛してるんだ」と言葉が溢れた。
 ほんの一瞬、動きを止めたルキーノは小さく声を立てて笑って、「知ってる」と言い切る。
 その卑怯な物言に喉は詰まり、息が止まりそうになった。
「俺を抱いて、他にあんたになんの損得がある?」
 見透かしたようにルキーノは言い、まるで逆の立場のように俺の髪を撫でる。
「……まだ足りないか?」
 今度は抱いている男から口づけられた。
 砂漠に水撒かれるような感覚に、どうしてもこのまま喉を引き裂いて死にたくなる。
 何度も溶けるようなキスをくり返しながら、息が出来なくなる幸福を願わずにはいられなかった。