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昔々の話をしよう

 葬儀の鐘の音を聞きながら、ふと昔のことを思い出した。
 まだ、世界に穢れたものなどひとつもないのだと信じていた頃。
 まだ、広い屋敷の小さな部屋に閉じこもっていた頃。
 ――まだそう、なんの疑いもなくスカートをはいていた頃だ。
 あれは確か、風邪を拗らせて半月ほど寝込んだ後、快気祝いにパーパは俺に白いドレスを贈ってくれた。
 淡い、ローズピンクのレースにあしらわれたそれは、確かに可愛らしかった。
 ハウスキーパーに髪を結ってもらって、ドレスに見合うよう、精一杯に着飾ってマンマに見せにいった。
 はしゃぐ俺に、マンマはほんの少し困ったように笑う。
 それから、誰から貰ったのだと、ロリポップに造花を飾った小さなブーケをくれた。
 俺の頭を撫でて、やっぱりマンマはほんの少し、複雑そうに笑った。
 ――今なら分かる。或いは、俺の姿に花嫁のようなものを見て、女の子のように振舞う俺に戸惑ったのだと。
 いま思っても、あの頃の自分に見た目と病弱さ以外には別段女々しいといった質でもなく、ピンクとブルーの裏っかわにある、ラベル付けとしての意味を知らなかっただけなのだが、とにかく。マンマが抱いた不安は幸いにも、取り越し苦労に終わったと言えるのだろう。
 目の前を、喪服の少女が通り過ぎる。
 ふわりとスカートを翻して歩く少女の手にはカーネーションがあった。
 写真のネガのような昔の記憶を逆さに、彼女は俺の視界の中で、歩み寄った棺に花を収めてくれた。
 もう一度、鐘の音。
 視線を上げると、普段は色鮮やかに輝くステンドグラスの裏側を灰色の雨が流れている。雨の音を思い出すと、足元が落ち着かなくなる。
 まだ身体が弱かった頃、よくそうやって体調を崩した。
 あの時着ていた白いドレスは、どうしてしまったのだろう。
「ルキーノ」
 現実感を失いつつあった世界に、聞きなれた声がした。
「……ベルナルド」
 目の前の男の名前を呼ぶと、相手は困ったように笑った。
 今でも、マンマは俺の顔を見て困ったように笑う。
 仕方がない。
 俺がヤクザをやっているのは、母親から見れば“家の犠牲”の結果だ。
 例え、俺がどれだけ違うと口にしたところで、親から見れば覆すことの出来ない事実なのだと、自分が親になってようやく理解した。
 俺は、スカートの代わりに、堅気の到底着ないようなコンプレートと、華やかなブーケの代わりに、9mm口径を。
 そうして俺もまた、自分の家族を犠牲にした。
「ルキーノ」
 もう一度名前を呼ばれたので、俺もまた笑ったのだと思う。
 目の前の男と同じ顔で、あの時の母親と同じ顔で。
「あんたのそういう顔を見るのは、二度目だ」
 あの時は今よりまだ髪が短かったな、と続ける前に、男は眼鏡の位置を直しながら、ちらと俺の背後に視線を投げる。
「無理に此処に座ってなくても、いい」
 きっとその視線の先に、部下を待たせてあるのだろう。
 無様なツラを晒しているくらいなら、ベルナルドの言葉の通り引っ込んでいたほうがいいのは分かっていた。
「……いさせてくれないか」
 卑怯な言葉を口にした。
 それで、ベルナルドはもう黙った。
 分厚いガラス越しに見る目は、普段と変わりなく、だからこそ俺に現実を突きつけた。
「今日こそ、あんたが泣いているのを見れるかと思ったのに」
 そう言う、自分の声の方が震えていた。
 視界が陰り、ベルナルドが立ち位置を変えたのが分かる。自分の膝にポツポツと雨が落ちていくのが見えた。
「……知ってただろ」
「ああ」
「どうして責めなかった」
「それがお前たちの選択なら、俺が口を挟む権利はないよ」
 模範解答は、実に彼らしかった。
「今、お前を責めたててやるほどの優しさも、余裕も、生憎持ち合わせていない」
 その小さな棘さえも。
 昔のことを思い出していた。
 あの時も、黒いドレスを着た少女が、花を棺に収めてくれた。
 あの時も、ベルナルドの声がした。
 俺は、今と違って何も見えていなかった。
 今見えている世界は、色をなくしてしまっている。
 その淵で、あのドレスを飾っていたレースがふわふわと揺れているような気がした。
「俺はお前が羨ましい」
 鐘の音と共に、ぽつり降ってきた言葉は、どこかジャンの声音に似ていた。