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nonnoonon

 椅子が二つしかない小さなダイニングテーブルの傍らに座りながら、ガラス戸の向こうから響く水音を聞いていた。何となく未来のことを考えながら。
 この先、ルキーノはどうするのか。俺はどうしたいのか。考えるだけ、無駄なことも分かっていたが。
 曇りガラスの下に、排水溝に流れていく水が見える。その上を時折、赤い色をした花びらが滑っていくのが。
 それがルキーノの血液と同じで、彼の命を少しずつ奪っていっているのだ――と言えたのなら、まだ救いがあった。
 ルキーノの左目に最初に花が咲いたのは、もう半年以上前のことだ。
 まるで眼窩を住処に定めた蛇のような蔓と棘、青々とした葉、それから彼の髪よりも赤い花が、ある日ルキーノを巣食った。
 潰れた左目にものともせずに、仕方がないと大雑把なのか俺には理解出来ない理屈で周りを逆に宥めていたが、またたく間に事情は変わった。
 痛みを伴い、引き抜くことが叶わない花の根は、脳のどこかに触れているせいか、ルキーノの言葉を奪い始めた。
 そうしてルキーノは仕事を続けられなくなり、けれど幹部という立場から手放しに隠居させるわけにもいかず、デイバンの郊外で幽閉されている。
 床の軋みと同時に濡れた足音がして、視線を上げた。
 いつの間にか、濡れたままのルキーノが目の前に居て、怪訝な目で俺を見下ろしている。
「今日は何の用だ――、……」
 言葉に詰まったのを見て、俺の名前を呼ぼうとしたのだと分かったので笑みを返した。
 この男は、言葉を失い始めると真っ先に俺の名前を無くした。
 長年を過ごしたファミリーの名前を忘れるなんて薄情な奴だ。そう俺は笑ったが、誰よりも傷ついた顔をしていたのはルキーノ自身だった。
 昔から、見た目より繊細な男だった。
「用もなく会いに来たらまずかったか。一応、恋人だった覚えがあるんだが」
 何年か前に酔った勢いで出来上がった、なし崩しのような関係ではあったがそう言って立ち上がり、膝に乗せていたタオルを頭に掛けて拭いてやる。
 ルキーノの左側には触れないよう、水分を拭き取ってやると、男は目を細めて飼い犬のように大人しくしていた。
「……、あんたは恋人を半月も放置するのか?」
 新しく咲いたばかりだろう、見覚えのない花についた水滴をルキーノは指先で弾きながら呟く。
「何しにきたのかは分かったか?」
 前半の単語が聞き取れなかっただろうルキーノに確認すると、男は鼻で笑った。
「性欲処理だろ」
 俺の手からタオルを乱暴に奪い、ルキーノは髪を乱暴に拭いながら部屋を移動する。
 ダイニングと小さな寝室。今、ルキーノの世界はそれだけだった。
 背中を追って寝室に入ると、安いパイプベッドとルキーノが自分でメイクしてるだろう真っ白なシーツだけが目立った。物を持ちたがる男には似つかわしくない部屋だ。
 軍人か学生が使うような部屋に備え付けの小さなデスクの椅子に腰掛けて、ルキーノはうんざりとした目をしていた。
 ずっとここから出られなければ、気も滅入るだろう。理由は、それだけではないだろうが。
「……こんな生活、殺された方がまだ…――“マシ”だ」
 まるで俺の考えを読んだかのように、けれど言い淀んだ後半をイタリア語でルキーノは言った。その肩の後ろ、デスクの上には指輪のケースが置かれているのが見えた。聞かずとも、その中身が亡くなった細君と対であることは分かった。ルキーノがこの部屋に持ち込むのを許されたのは、それだけだ。
 ――確かに、殺されるのならルキーノの本当の家族と同じ場所にいけるのかもしれないのだから、それはこいつの望みだろうと思った。
 容易に頷いてはやれないが。
 ベッドに腰掛け、動作だけで子供相手にするように呼ぶと、ルキーノは溜め息を吐いてから大人しく隣に座った。
 肩に掛かったままのタオルでまだ濡れた肌を拭ってやると、ルキーノはじっとその様子を見ている。
 最後に見たときよりも、髪が伸びていた。あとで少し切ってやろうと思った。
 時折、濡れた髪の絡まった花の蔓が風もなく揺れる。枝葉に邪魔され歪んだ瞼が、右目の瞬きに干渉されて動いているせいだった。普段はかさぶたの出来ている場所がシャワーで洗い流され、新しく赤い血が滲んでいたのが見えた。
 もはやその痛みにさえ慣れているのか、麻痺しているのかは分からなかったが、茨の奥に潜む赤さえ綻ぶ花のようだ。
 茨の向こう側に――そんな童話もあったなと、薔薇に似た、薔薇ではない真新しい花に口づけをしてみた。
 不意打ちに、びくりとルキーノの身体が揺れたのが可笑しくて、そのままベッドに押し倒す。
 伸びた髪を撫でて額にもキスを落とす頃には、ルキーノは普段と変わらない顔に戻っていたが。
「あんた、俺がこんな有様でも勃つのか」
 ルキーノの指が触れた部分は、もう花が終わり、ぐずぐずと腐り始めて頭を垂れている。その根元は目尻でさらに醜い色に黒ずんで、ルキーノの肌にまで侵食していた。
 そもそも植物に眼窩を食い散らかされ始めた時点で、身内にすら忌諱され始めていたが、俺はまた違う感情を抱いていた。
「俺は性欲処理に来たんだろ?」
 さっきのルキーノのセリフを借りて言うと、ルキーノは怪訝な表情を浮かべたので鼻で笑う。
「こういうのも、嫌いじゃない」
 もう一度、今度は腐りかけの花に唇を触れさせると、抵抗のようにルキーノの手が俺の肩を押した。
「あんたは……」
 自分の左側をなぞりながら、罵倒しようとしただろう言葉を飲み込んだルキーノは、忌々しそうに首を横に振った。
「――物好きだ」
 言いたかった言葉とは違うだろうが、近い単語に妥協したのを気付かない振りをする。表現する方法失い、同時に耳に入る言葉を理解出来なくなっていくことは、ルキーノにとってはどれほどの負担だろうか。
 まだ誰とでも会話が成立する頃に、失った言葉についてルキーノが言っていたことがあった。
 口に出来なくなるだけじゃない。耳にしてもまるでフランス語かスペイン語で話しかけられているようだ、と。
 聞き覚えのある響きで、あと少しで意味が分かりそうで、けれど永遠に理解は出来ない。一度失った言葉は、また教えたとしても決して男の頭の中には留まってはくれなかった。
「お前とこうなっていなくても、俺はお前に会いに来たけどな」
 随分とありきたりな文句を吐いて、瞳を覗き込むとルキーノは薄い笑みに口角を上げる。
「嘲笑いにか?」
 卑屈に視線を落とした直後に、小さく自嘲が聞こえた。
「……、ごめん。違うな」
 その幼い言い回しをルキーノが口にするのは、ひどい違和感があった。代理にした言葉の座りの悪さで、なんとも言えない空気になったのに、俺はただ笑った。
「淋しかったか?」
 また髪を撫でると、ヘソを曲げた子供のように首を横に振られる。
「聞こえない」
「そっちは嘘だな」
 俺の答えに、ルキーノは観念したように俺の肩に額を当てた。
「本当は分かってる。俺、は……、弱って、違う……でも、淋しいのとも」
 違う、と何度も繰り返したルキーノが黙り込んでしまったので、花を潰さないように頭を抱く。
「抱いてもらえるか不安なんて、随分と女々しいことを言うようになったな?」
「そう言うんじゃ……っ、おま、え」
 まだ何か言おうとするルキーノの浮いた背中を撫でて、尻の横まで指でなぞると、ルキーノは顔を上げて睨みつけてきた。
「するなら抱かせろ」
 往生際の悪い男の鼻先に掠めるようなキスをして問いかける。
「嫌か?」
「嫌だ」
 真剣な顔で言うのが変わらず可愛いとさえ思えたので、まだベッドの上に残っていたタオルと床に投げ捨てて、ルキーノの首元に顔を埋めた。
「…………なら、聞くなよ」
 耳に届いた呆れ声に唇を歪め、目の前の首筋にねとりと舌を這わせると、あとは捕食されるだけの男は諦めたように背中に腕を回す。
「こういう時は、――呼ばない、と……だけどな」
「……ん?」
「name、だ。あんたの」
 ルキーノは“名前”をラテン語の発音で言って、顔を上げた俺の唇に指先で触れた。
「別の名前を名乗ればお前は覚えておけるのかね?」
 何気ない提案にルキーノはすぐに表情を曇らせ、違う、とさっきと同じように呟く。
「それじゃ、意味がない?」
 頷いたのを見て、自分の名前を旧友がしていたように英語読みで呼ばせても、無意味だと思った。
「……名前なんて、」
 そこまで言ってから、どうしてルキーノに触れたがっているのかを気付かない振りをしている自分を自覚する。
 本当に名前を呼び合うことを鼻で笑えれば、もっと分かりやすく優しく出来たかもしれない。
「あんた……余計なこと考えてるだろ」
 言われながら曖昧に口元を弛め、けれど目の前の光景とは違う小さな空想の中で自分の浮いた足が揺れているのを見た。ギクリと心臓が跳ねる。
「……お前は変わらないな」
「ん、……」
 脳裏を脈絡なく過ぎった妄想を誤魔化すように言うと、半端に返事をしてルキーノは目を細めた。
「変わらない、invariato」
 英語をイタリア語で言い直すと、意味を理解したルキーノは一瞬の後に小さく首を傾げる。変わらないから、なんだとでも言うように。
 棘のような苛立ちが胸を刺した。
 自分が同じ状況だったら、鉛玉を飲むか首を括っている。
 確かにルキーノは弱かったが、俺の抱える弱さとはその場所も質も違った。だから、俺の目には強く美しいものに見えた。
 けれど、それだけだ。事実は変わらない。
「――なんて顔してやがる」
 顔に触れた指先を掴むまでもなく、自分がひどい顔をしているのは分かっていた。
「イヴァンじゃないが、クソモヤシ。ろくでもないこと考えてるだろ」
 年少者の言い方を借りてルキーノは俺を呼び、呆れたように笑う。
「ふはは、ベッドの上で聞く呼び方じゃないな」
 色男らしく、組み敷かれてる癖に俺の髪をすくい上げ、そこに口づけて隻眼が挑発的な視線を向けてくる。
「でも……glad、だろ?」
 嬉しいだろう、と言われて、思わず動きが止まる。
「そう見えるか」
「あんたは意外と、顔に出るからな」
 もう一度、頬を包むように掌が顔に触れた。わずかに汗ばんだ、熱のある手が。
「俺はあんたが、……ボスにじゃなく、俺に名前を呼ばれると、こうやって笑うのが嫌いじゃなかった」
 知らなかっただろう、とルキーノは言って年よりも子供っぽく笑った。
「どうしてあんたを忘れたんだろう」
 俺に触れていたルキーノの手が、死人のように彼の胸に落ちる。
「理由なんてあるのか?」
 問い掛けるとルキーノは頭を振った。
「ないだろうな」
 何かを思い出すように視線をさ迷わせ、やがて諦めたようにルキーノは自分に咲く花に手をやる。
「忘れられると…、クソ……ああ、言葉が」
 引きちぎりそうな勢いで目元に爪立てたルキーノは、感情を外に吐き出せない苛立ちに呻いた。
「忘れられるなら、早く、あんたの名前よりも、もっと」
 もう何を言いたいかは分かったけれど、ルキーノが言おうとすることを遮る気にはなれなかった。
「あの子達の……、はは、忘れてる、な。確かに、名前を忘れて――」
 ルキーノが無気力に笑うのに合わせて花が揺れ、棘で傷ついた手にじわりと血が滲み始めるのを見とがめて、手を取る。
「けどそれだけだ。言葉で指せない、だけだ。消えない。彼女たちは、俺にとってのなんだったかさえもう、言うことが出来ない」
 力なく握り返された手は、震えている気がした。
「こんな、タチの悪い……」
 呻いて顔を伏せ、どうして、とルキーノは呟いた。
「なにも、あんたは言うけど、変わらない、なんて、なにも」
 ルキーノは最後の方、殆ど無理矢理単語を繋げて吐き出す。
 握る手に視線を落とすと、柔らかく濡れた感触と慣れた血の臭いがした。
 俺の方が、言葉を失ったかのようだ。
 きっとルキーノは、俺がどこかで羨んでいたことに、死ぬ理由を持つことへの羨望を抱いているのに気づいていた。
 それでも否定はせず問いかける声に、尚更俺は目の前の男が望まないだろう憧れを強くした。
「なあ……俺はこれさえ、よべない、あんたを、……――のに」
 柔らかく、容易に手折れそうな花のような、弱い声がする。
 視線を上げると、ルキーノの唇が何かを言いかけて、閉じられた。それは見慣れた光景だった。
 こうなってから必ず、俺に向かってルキーノは言葉を発しようとしていた。
「ルキーノ」
 さっきとは逆に、俺がルキーノの爪先に口づけて、真っ赤な色をした花びらにも唇を触れさせた。
「呼んでくれ。もう一度」
 ルキーノはらしくない戸惑いを見せてから、たどたどしく、何かを歌いだすように唇を開く。
「――――、」
 何かを紡ごうとする呼吸が、確かに何千回と聞いた俺の名前を呼んだ。
 わずかな軽蔑と、親愛と共に。ずっと変わらない響きであった声で。
「悪い。俺が、聞こえてなかっただけだ」
 言って頬に口づけてから余りにも出来すぎたセリフだと思ったが、イタリア人らしいだろうと思い直した。
「ベッドの上で名前を呼んで、それから?」
 一瞬を口篭ってから、ルキーノは苦く笑って握っていた手を引く。
「そこまで言ったなら、最後まで――……上手、にやれよ。野暮だろ」
 つまずいた言葉を噛み潰した鈍い笑みのまま、ルキーノは俺がしたのと同じ場所にキスを返してきた。
「……お前は俺を見捨てればいいのにな」
 唇が離れてから、身を切るように閉じられた世界に生きるしかないルキーノに告げると、ルキーノは首を横に振った。
「立場が逆だろ」
 腕を伸ばされ抱きしめられ、その女にも似た仕草に、また余計なことを考えそうになったのは無視した。
 目前の問題は何一つ解決していなかったけれど、触れるべきでないとお互いに思ったのだと思う。それで、今までの会話が何もなかったかのように唇を重ねた。
 直接痛みに触れて、傷つけ合えるほど、俺たちは若くなかった。
 キスをする度に、視界の隅で赤い花とルキーノの半分の表情を遮っている緑が揺れる。現実離れした光景に救われ、左手でルキーノのまだ濡れている髪を撫でて、わざと音を立てて唇を離す。
 そのまま裸の胸に手をやると、ルキーノの身体はぴくりと跳ねたが、それ以上反応も抵抗もしなかった。
 それでも以前と同じようにルキーノの両手首をまとめて頭の上で押さえつける。
 ルキーノの眉間にキスを落としてから、ゆっくりと左の目頭の辺りに濡れた唇を触れさせた。
「っ……」
 漸く背中を浮かせたルキーノに分かるように声を漏らして笑うと、捕まえていた手が逃れるように動く。それを確認してから、見せつけるように腐りかけた花の茎に歯を立てた。
「――っ」
 微かに、生臭いような泥の臭いがする。俺の下ではっきりともがいた身体を押さえつけて表情を伺うと、震えながらルキーノは固く目を閉じている。
「痛いか?」
 言いながら唇に触れている、もう中身のない瞼をちらりと舐めると、もう一度ルキーノの身体が揺れた。
「わか、ら…な――」
 明らかに怯えている薄らと開いた瞳に、俺の悪い性質が首をもたげた。
 咥えた状態になっている茎に力を込めると簡単にそこは軋んで、ルキーノは喉の奥から悲鳴になりきらない声を漏らした。そのまま噛み締めると、ぶつりと茎はちぎれた。血の味がした気がした。
 呼吸を荒らげたルキーノが呆然としている。
「嫌だったんだろ、これ」
 腐った花を吐き捨て、ちぎれた場所を舌先でねぶると、ルキーノは指を動かして俺の手に爪を立てた。
「こんな、セックスですら、ないんじゃ……ないのか」
 途切れ途切れの言葉を鼻で笑い、まだ美しく咲いている花にも歯型を付ける。
「間違いなくセックスだよ。俺はこうやって、お前に触りたい」
 ルキーノは聞こえていたのかいないのか、よくわからない表情で俺を見つめて、触れている指を撫でるように動かした。
「カッツォ……。本当に、ろくでもない」
 身じろいだルキーノの身体が触れて、俺の腰に硬くなった場所があたった。
「触れよ、もっと」
 ――ひどい殺し文句もあったものだ。動けなかった俺にルキーノは柔らかく笑うと、唇だけで「はやく」と付け足した。
「……悪魔が傍にいるなら、今すぐ時の停止を願いたいところだ」
 言いながら手を放し、ネクタイを解いた。ルキーノの腹に乗ったまま、ティーンのガキみたいにベッドの下に服を脱ぎ捨てる。
「誰もお前は迎えに来ないのに?」
 俺のベルトを抜きながらルキーノは言って、俺はその手からベルトを奪ってシャツと同じように投げ捨てた。
「ひどいな」
 顔の横に手をつくと、髪を乱暴に引かれる。
「お互い様じゃないのか?」
 そう言い切るより早く、ルキーノが自ら乱暴に俺の唇を噛んできたので、目を細めた。
 髪を掴んでいた手がゆっくりと緩んだが、ようやくルキーノ自身に直接指を絡めた。濡れた感触に薄く笑い、その先走りを伸ばすように手を動かす。
「――ぅ…ん、ン……は」
 擦るように手を動かすと、くちくちと濡れた音がはっきりと手の中で鳴る。その音が耳に届いたのか、キスから逃れるようにルキーノは身を捩った。
 扱かれて絞り出された体液で濡れた指を迷いなくルキーノの尻の間に滑り込ませると、腕を掴まれた。
「はやく、だろ?」
 言うとルキーノは一呼吸分、たっぷりと俺を睨みつけてから手を解いた。
「はや、す……―っひ」
 文句を言い終わるのも待たずに指を奥に潜り込ませると、ルキーノは喉を晒して震える。
「こっちはいつまで経っても慣れないな、ルキーノ」
 喉仏を舌からべろりと舐め上げて、キツく締め付けている場所にもう一本と指を増やす。
「あ、ぁ……なれる、か…」
 快楽を与えるためというよりは痛みを和らげるように指を動かし、縮こまるように折れた膝を開いてさらに奥をくすぐると、ルキーノは浅い呼吸で嬌声を殺し、シーツを掴んだ。
「慣れるさ。……ここ、いいだろ?」
 わざと触れていなかった前立腺を指で掻くように刺激してやると、堪えきれなかった声がルキーノの唇から漏れた。
「……あ、ぅ――、…ンッ」
 人差し指と中指で緩んだ場所を割り開き、半脱ぎのスラックスから引き出した自身を差し込むと、ルキーノは痛みを訴えることなく俺を受け入れた。
 残った指でヒクヒクと締め付けてくる縁をなぞってから引き抜くと、半ば無意識にだろうが、ルキーノは口元の唾液も拭わずに俺のタトゥが刻まれた手首を掴んでくる。
「ァ…、あ…………」
 俺の名前を呼んだルキーノが掴んでいる手を拾い上げて、手の甲にキスをすると、ルキーノは突っ込まれているのにまるで俺を下にしている時のように笑った。
「本当に……」
 その表情に無性に安堵した俺は、ルキーノの腰を掴んで引き寄せる。
「っ、…ひァ――」
 柔らかな肉に絞られる感触よりも、掠れ消えた悲鳴に腰を重くして、ルキーノの濡れて飴玉のような目から涙が零れて花に覆われた場所に流れていくのを見た。
「ルキーノ……」
 名前を呼ぶと、またあの顔で笑い、俺の名前を呼ぶ。
 涙の流れた跡に口づけて、肩を捕まえて深い場所で腰を揺すると、ルキーノは途切れ途切れに声を漏らして俺にしがみつく。触れる息が酷く心地よくて、ゆっくりと浅く深く犯しながら、足りないと頬や首に口づける。
「……ふ、あ」
 されるがままに足を開いていたルキーノが顔を上げて、俺の腕を掴み直した。
「も、……でて…る」
 言われてから、自分が早すぎる精をルキーノの中に吐き出しているのに気付いた。余りにも自然に訪れた決壊に動きを止めると、ルキーノがじれったそうに腰を揺らした。
「おれ、も…イけ、そ」
 とろんとした顔をした男に強請られ、萎えかけのモノを言われるまま押し込むと、ごぶりと泡立った精液が溢れてシーツと俺のスラックスに飛び散った。
「っは……ァ、あ、…こ、れ……」
 普段よりぬめる感触にルキーノは震えて、僅かに怯えの表情を見せる。
 それだけで硬さを取り戻した単純なモノで前立腺あたりを何度か押しつぶすと、涎を零していたルキーノのペニスは精液をあふれさせた。
「……っ、ん…ぅ」
 ルキーノは自分の腹にごぷごぷと吐精しながら、俺の腕を掴んだまま震えていた。


        *


 ぐったりとしたまま動くことを放棄したルキーノを、濡れたタオルですっかり拭ってやってから、彼のその横たわっているベッドに腰掛けて俺も着替えを済ませていた。
 ネクタイを締め直しながら、窓の外に視線を投げているルキーノがまるでそこに根付いてしまった苗床か何かのように錯覚しかけたが、ふわりと外からの風にカーテンが揺れた瞬間に俺に視線が飛んできて、その強い目にまっ先に叱られた気分になった。
「……また余計なことを考えてる顔だ」
 すっと自然な所作で腕が伸びてきてネクタイを引っ張られた。唇を重ねられ、角度を何度か変える恋人のようなキスをした。
「人のこと言えるのか……」
 唇が僅かに離れた場所で、そう指摘する。どうしようもないことを考えるときに黙り込むのは、ルキーノの昔からの癖だった。
 ルキーノは表情を変えないまま、首を横に降る。
「俺が、忘れたら……」
 指で小さな円を描いて、全部を、とルキーノはジェスチャーする。
「あんたは俺を、殺してくれるか」
 そう言っている間、ルキーノは一度も俺に目を合わせなかった。だから、俺の言う答えは分かりきっている。
「それより、俺を殺せば今すぐここから出ていけるぞ?」
 簡単な解決方法を差し出せば、漸く睨まれた。
 意識がちゃんとこちらに向いたのを確認してから、今度こそルキーノの花に指を触れさせて告白をする。
「そうだな。表向きには死んだことにして、ここじゃない場所に部屋を借りるよ。そうしたらお前が好みそうな真っ白なバスタブに水を張って、そこで飼い殺しにしてやる。お前が口を聞けなくても、この花が枯れるまでずっと。お前が本当に死ぬ日まで」
 尽き果てることのない欲望を口にすれば、ルキーノは唖然とした顔をしていた。それから、深い溜め息。
「半分以上聞き取れなかったが、ろくでもないのは分かった」
 明らかに萎えた表情をしたルキーノは、俺の手を弾いた。
「聞き取れないだけで、何を言ったかは分かるだろう?」
「くたばれ、クソナード」
「……ああ。お前の後にな」
 欲しがっていた約束を差し出すと、ちゃんと聞き取れたらしい男が、震えるように頷いたのが見えた。
 可愛い男だと思う。美しいと思う。昔と変わらず、変わった場所さえも。
 出会った頃からそうだった。彼の終りを看取る日も、そうあるという確信は、なんと甘美なものだろうか。
「……愛してるよ、ルキーノ」
 お前のためなら、尻拭いをするために生きる、損な役回りをしてもいいと思える程にはと無言に言う。
「分からない」
 苦笑し、首を傾げるルキーノの右側で、赤い花が揺れた。
 その耳に聞こえるノイズを想像し、排水溝に流れ落ちる水音が蘇った。
 もう、手元には戻ってこない彼の言葉は、願っても止められない時間の流れとよく似ているのじゃないか? けれど、それを理解したところでなんの意味もなかった。
 意味などなくてよかった。
 子供にするように、ルキーノの頭を撫でる。
「……愛してる。愛してるよ、ルキーノ」
 イタリア語とラテン語で言い直して、ドイツ語も付け足そうとしたところで唇を奪われた。
 赤い花が視界の端を掠める。やはりその赤い色は、現実だった。
 重ねられた唇からは、声は漏れない。
 すべての言葉が伝わらなくても、もう俺には構わなかった。