Na2SO3(1)
神に祈る時間が増えたのは、後悔の多い人生を生きているからだ。
逃げる事ばかり染み付いて、結局はまたなくしてばかりいる。組んだ指の間から下がった鎖の先でメダイがチリ、と音を立てる。
目を開けると俺に手を伸ばした子供が、それを玩具にしようとしていて苦笑した。
「これは駄目だ、ほら」
両手を広げると、彼はふわりと笑い抱きついてくる。抱きしめて背中を撫でると、耳元で言葉にならない声がして、頬に口づけられた。
痩せた身体は軽かった。声は意味をなさずとも幸せそうだった。今、彼を抱きしめているのは愛しさの他に何もなかったが、それでも刺さった棘がじくじくと毒を吐いた。
彼を殺した毒は、これよりも痛かったのだろうか。
子供はLが上手く発音できず、Uにアクセントが来た名前で俺を呼ぶ。昔より少し高く、昔より遥かに優しく。
「……ベルナルド、部屋に戻ろう」
認めたくない名前を呼び身体を離すと、ベルナルド自身も理解しきれない顔をしていた。
痩せた以外は、掛けている眼鏡も長い髪も何もかも変わらない筈なのに、既にベルナルドは死んでいた。
*
逆手に持ったスプーンでぎこちなくトマトスープをすくうベルナルドに温めなおしたクロワッサンの皿を差し出してやると、礼の代わりのように彼は微笑む。こうなってから、ベルナルドは驚くほど笑うようになった。
記憶や思考を失っても猫背だけはそのままで、まだベルナルドがそこにいるように錯覚をする。
ぱたぱたと、ベルナルドの唇から赤い雫が溢れ、子供の仕草で彼はそれを手の甲で拭う。彼と最期に話をした時の事を思い出さずにはいれなかった。
数か月前の会食の場で、食事に毒を混ぜられた彼は口元を血だらけにしながら俺の腕を掴んで掠れた声で言った。
「俺の事より、組の事を」
躊躇う俺や部下たちに、ベルナルドは「オメルタの下に」と付けたし、俺たちから退路を奪った。
そうして俺たちの用意した席に泥を塗った人間はすぐに抑えられ、テーブルの上に"並べられる"ことになり、組のメンツは守られた。
代わりに、ベルナルドの頭の中身が殺される事になった。
遅れて医者に見せられたベルナルドは、記憶も言葉を失った子供のようになっていて、医者に二度と戻る事はない、と告げられた。
彼の望みだったのだと、仕方がない事だと、そういう事になった。
どこにも身寄りのなかったベルナルドは結局、俺が引き取った。
俺がベルナルドを残し、部屋を立ち去ろうとした時、腕を掴んで言ったのが頭に残って離れなかったからだ。
「俺の代わりに頼む、ルキーノ」と。
それが組のメンツを保つためなのか、自分が死ぬと分かっていて言ったのか、それとも他になにか意図があったのかは、もはや聞くすべがない。
「――なあ、ベルナルド」
懸命に食事をとっている子供に問いかけた。
彼はそれを認識出来ずにクロワッサンを齧りながら、逆に問いかけるようにまっすぐな視線を向けてくる。
歌になりかけの、子供の声が返事のように返されて、ただそれだけだった。