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カーテンコールに愛を込めて

 両開きの扉を押し開けると、誰もいない客席が薄い明かりで照らされている。スクリーンカーテンは開かれていたが、スクリーンには何も映ってはいない。最前列、丁度真ん中座席の上から、見慣れたプールブロンドの髪が見えていた。

「お客さん、本日の上映は終わりですヨ」

 呼びかけに、ひらり、万年筆の握られた左手が上がった。堅気ではない、タトゥが袖口から見えている。

 脚本でも書いているのだろうか。

 ベルナルドが「資金洗浄の一環で」なんて言い訳じみた理由で初めた映画事業は、今ではDSPとしての劇場を持つほどに育っていた。

 確かに帳簿の調節には役に立ってはいたし幹部も実のところ、それがベルナルドにとって一種やりがいの"横領"なのは重々承知していたので、彼の書く映画のホンの内容に呆れることはあっても大抵は黙っていた。それだけの信頼は、もう俺たちにはあったので。

 俺は改めて、振り返りもしない男にため息をつき、そちらに歩き始めた。ぶどう色のベルベットが張られたシートに根を張っている男はノートになにか書き付けるのに夢中になっていて、俺が隣に座っても顔も上げなかった。

 それを横目で見ながら、座席に背中を預けると、煙草に火を点ける。

 ベルナルドと揃いのロンソンのライターを閉じながら、似合わないな、といまだに思う。今ですらそうなのだから、この先何年経っても俺は変われない気がする。隣でようやく、ベルナルドが息を吐くのが聞こえた。ベルナルドの仕事が一段落した時の、いつもの癖だ。

「迎えに来た恋人より仕事に夢中なんて、どういう了見なの、ダーリン」

「ごめんよハニー……愚かな俺を見捨ててしまうかい

 大仰に行ってみせるハム野郎の顔面に煙を吐きかけたが、それを当然のバツのようにベルナルドは瞬きもせずに受け止めて手を伸ばしてくる。甘えるように抱きついてくる男の髪を焦がさないように煙草を持った手を遠ざけると、隣のシートに置かれたベルナルドの書類が見えた。

 次の映画の台本ではなかった。だからこそ、心当たりはいくつかあった。そのどれも、この恋人が俺を、組織を守るためにやっていることだと分かっていたので、天を仰ぐ。

 高い天井には埋め込まれた照明が、デイバンの夜景みたいに等間隔でやわらかな明かりを放っている。

 空いている片手で背中に手を回すと、ベルナルドは親に見つけてもらったガキみたいに笑う声を洩らす。微笑ましくなったが、すぐに首筋に唇を押し付けてきたので、その思いは一瞬で消し飛んだ。

「どうしておじちゃんは、職場でも我慢が出来ないのかね」

 やんわりと肩を押し返すと、ベルナルドは眼鏡を指で押し上げながら笑って、自分も煙草に火をつけた。揃いのロンソン。うちの筆頭幹部は、顔は疲れ切っていてる癖に俺よりよっぽど似合う物腰で、ライターをぱちりと閉じた。

 俺は俺たちの間をへだてる肘置きの灰皿に、先客だったベルナルドの吸い殻の隙間に自分のまだ長く残った煙草をねじ込む。決して居心地悪くない無言があって、今度はベルナルドが先に口を開いた。

大丈夫だよ、ジャン」

 そう言われて、顔を上げた。よく出来た恋人は、俺がわざわざ執務室でない場所でこっそり仕事をしていた自分を探しにきた理由を情けなく弱音が吐きたくなってしまっていたことに、気づいている。目の前にあるまっさらなスクリーンに、ちらつく映像を思い出す。耳の奥で、カラカラとフィルムが回る。

 看守が通りがかりに警棒で格子を弾いていく音がオーバーラップした。脱獄が趣味だった頃のチンピラの俺と、買い与えられたお仕着せのコンプレートに身を包んでいるカポの俺。

「あんたは、何年経ってもまだ腹括りきれてない俺でも、不安とかねえの」

 ベルナルドは煙草を咥えたまま、薄い笑みを唇に乗せ「ないね」とつぶやいた。

 肺いっぱいに吸った煙をゆっくりと天井に吐いたベルナルドは、片目をすがめる。普段、執務室で見る会計屋の顔でも、俺に甘える時でも、甘やかす時の恋人の顔でもない、確かにヤクザの顔だった。

「どんな状況でも能天気に威張ってるだけのボスを必要としているんだったら、俺たちは目隠しした猿でも玉座に座らせておけばいい」

 そう言ったベルナルドは、シャツの上から、俺のタトゥの上に手を置いた。彼の手首に巻かれた腕時計の秒針が、チクタクと心音のように聞こえる気がする。

「幕間の迷いはお前の美徳だよ。大抵の人間は、土壇場で求めるものと求められるものを天秤にかける余裕すらないさ。お前が立場に向き合う証拠だ。逃げる算段を立てている段階だったら、お前は俺に"それ"すら問いかけないね」

 ゆるりと、触れていた手が離れた。

「一度幕が上がってしまえば、出番が終わるまで板の上からは立ち去れない。ジャン。お前はそれを知っている男だよ。CR:5の二代目カポ、ジャンカルロ」

 告げ、目を閉じ、開けたベルナルドの目は、涼しげなグリーンの癖に、もういつもと変わりなくなっていた。

「それでも逃げたくなったら……かならず道連れにしてくれよ、ハニー

 立ち上がったベルナルドはそう言って、肘掛けの灰皿に煙草を押入れ、蓋をした。差し出された指先からは、煙草の臭いより甘くベルナルドがいつも纏う香りがした。

 促されるまま触れた手は乾いている。それでも、あの雨の日に薔薇を投げ捨てたベルナルドを抱きしめたことを思い出した。

「ベルナルド

「うん

 迷いは消えない。増えるばかりだ。場数が増えても、知った分、恐れは立ち去ってはくれない。

 生きるは毒杯、あの日そうかすれ声で言った男が、今は目の前で悪魔みたいに微笑んでいる。

 けれど、だからこそ。

「そこまで言うなら、カーテンコールまでつきあえよ」

 俺はどんな顔をしていただろう。一瞬、ベルナルドが泣きそうな顔をした気がした。気のせいだったのかもしれないが。

「イエス、マイタイラント」

 幹部会議でするように、ベルナルドはうそぶいた。俺が苦手なタイプのパーティで、ワルツのステップを踏む時のように、恋人は完璧なエスコートで俺の手を引く。

 立ち上がる背後で、雨音のような拍手を聞いた気がした。