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年上組のごはんの話

01

 いつの間にか眠っていたらしい自分は、気がつくとぼんやりと薄暗い天井を眺めていた。数分間を置かれている状況を理解するために黙っていると、徐々にさっきまでの記憶が戻ってくる。
 見慣れた場所をそのまま見ていると、耳にはカチカチと食器の触れ合う音が聞こえた。それから、出来立ての料理の匂い。
 近付いてきた足音につられるように視線を動かすと、トレーを持ったルキーノと目があった。
「ベルナルド、起きたか」
 ルキーノの言葉に、今の時間を知りたくなる。カーテンに遮られてはいるが、外はまだ暗いようだった。
「寝てたのは、ほんの二、三十分くらいだ」
 心を読んだかのようなルキーノに頷くと、彼もそれで満足したらしく、俺の横たわっているベッドのすぐ側のテーブルにトレーを乗せる。
「あんたも食うか?」
 テーブルに置かれた、ワイングラスと焼いただけらしい肉とバケットを軽く顎で指すルキーノに苦笑して、首を横に振った。
「まあ、それじゃあ意味がないな」
 ルキーノもまた同じように苦笑して、ベッドに寄ってきて俺に手を差しのべる。顔に触れられ、俺が“落ちた”時に外してくれただろう眼鏡をかけてくれた。
「まだ痛むか?」
 言われて、下半身にまだ残る痛みに素直に頷く。それでルキーノはサイドテーブルからアスピリンの瓶を拾い上げると、中身の一つを自ら口に含み唇を重ねてきた。
「ン……」
 自分の喉から出た声が、どこか違和感があった。それでも錠剤を送り込むように口内に侵入してくる冷たい舌が心地よくて、どうでもよくなる。
 ルキーノは俺の喉が動いたのを指先で確認していたらしく、唇を一度離してから、二、三度触れるだけのキスをしてきた。子供をあやすような仕草に顔をしかめると、終いには頭を撫でられた。
「暫く大人しくしてろ」
 そう言って今度こそ唇も手も離れ、ルキーノは椅子を引き、テーブルにつく。
「そういえば、あんたとこうなってからだな。自分で飯作れるようになったのは」
 感慨深そうにルキーノは呟き、分厚く切られた肉にナイフを入れ始めた。テーブルマナーも何も必要ない席でさえ、やたら優雅に見える手つきにゴクリと喉が鳴る。
「俺はお前が食事してるのを見るのが好きだよ」
 ルキーノはフォークから肉を口に運ぶ。
「だろうな」
 口の端を指で拭い、それを舐めながらルキーノは事も無げに言う。
 それもそのはずだ。こうなっているのは俺のせいで、ルキーノは俺の酔狂に付き合わされているに過ぎない。
 パンをちぎり、肉汁を付けては咀嚼し、グラスを傾ける姿が、どうしようもなく肉食獣を色っぽく見せる。
 その性癖に気づいたのは――否、目覚めたと言うべきか、そうなったのは、二人きりで食事をするようになってからな気がする。
「……美味いか?」
 俺が問い掛けると、ルキーノは手を止めて俺を見る。すうっと細まった赤が、俺を嘲笑うかなにかしたように見えた。
「――Fine del mondo.」
 最高だ、と言ってみせたルキーノに声もなく笑い、どこかに突き落とされるように意識を手放した。










-01



 性癖と言うのは、どのタイミングで決定付けられるものなのかと、たまに思い返すことがある。
 自分の被虐趣味は、ムショで本物の暴力を受けても変わることがなかったし、少なくとも、生まれながらに変えられない性癖もあるらしい、とは自覚があった。
 後天的に現れる性癖はどうだろうか。元々の素質というものがあり、それが影響するのだろうか。

 死体と遊ぶジュリオの面倒を見ていた時期があった。今より、彼の精神が安定しなかった頃。まだ幹部の座に着いて間もない頃の話だ。
 最下位幹部だった俺は、半ばボンドーネの小間使いのように扱われ、時々殺しの仕事に出て帰ってこない坊ちゃんを迎えに行くことがあった。ジュリオのもたらす恐怖と、それを御する自分の威光を私兵に見せるタイミングを操っていたジジイは、不都合なお迎えだけを選んで俺に押し付けていた。それを理解してなお、断ることが出来ない立場を当時は随分と憎んでいたので、ジュリオを恐怖よりただの面倒事として見ていた。
 迎えに行くと大概、腹をあけて無邪気に解体ショーをして楽しんでいるところに遭遇したが、その日は、眼球を綺麗にくりぬいてスライスにし、持ち主の腹に並べているところだった。
 眼球製の鱗をつけた死体は、まるで何か遠い国の料理にも奇抜なオブジェにも見えた。
 普段は服を着替えるのにももたつく癖に、魔法のような手つきに、俺は妙な感動を覚えて問いかけた。
「ソレ、食いでもするつもりか?」
 ジュリオは手を止め、きょとんと俺の目を見つめた。
「あいしてないから、たべない」
 花のようにふわりとジュリオは笑い、作業を再開した。
 俺が女なら惚れかねない王子サマ然とした表情はぱちりと泡のように弾け、泥と戯れる子供のそれに代わって、ジュリオの素直な言葉の通り、あいしていないから遊んでいると分かった。
 ならば、愛している他人を目の前にした時、こいつは喜んで食うのか。
 そんなことを考えながら、いつものようにジュリオを宥めすかし、連れ帰った。

 それからまた、何年か経ってからだ。
 どうして俺はそんなことをジュリオに聞いたのか、よく知ることになった。
 あの時に俺は決定づけられたのか、元々そうだったのか、今ではよく分からない。
 とにかくまあ、そういう類の趣味が、俺にもあったらしい。
 ジャンの唇に菓子を餌付けするのに幸福を感じていたのも、イヴァンがケチャップで口元をガキのように汚しながら食っているのを叱りつけながらも嫌いでなかったもの、ジュリオがジャンと執務室でドルチェを突くのを許していたのも、自分は食事をとるのが嫌いな癖して、ルキーノに食事に誘われるのも誘うのも嫌でなかったのは、根本のところは同じだった。
 気づけばあとは簡単に転がり落ちることが出来る。

「食事中にする話じゃないな」
 俺の連れてきた店で、ルキーノはシチューを口にしていて、俺の話に表情を曇らせた。
「カニバリズムの気があるのを俺に告白して、俺を食いたいとか言い出すつもりか?」
 赤ワインで唇を洗うルキーノの口元は、やはり最高に色っぽく、俺の好みだった。
 酔った勢いで遊んでしまう程度には目の前の同僚を俺は惚れ込んでいて、どういうわけかこうやってたまに食事をしてまたベッドに連れ込んでくれる程度には相手も俺を気に入っているようだった。
 だから、俺はこうなってしまったんだろう。
 ルキーノにとっては災難だろうが、どうしようもない。まるで他人事のように思った。
「それ、うまいか?」
 俺はルキーノの問いかけを無視して言う。
「ん? ああ……」
 ルキーノが皿に視線を落とす。てらてらと光る琥珀色の中身に、銀のスプーンがひたされている。
「俺はお前を食いたいわけじゃないよ」
 刻まれた根菜と共に浮かび上がっているスジ肉を見つめてから、俺は今互いのグラスを満たしているロゼと同じ色をしたルキーノの瞳を見た。
「うまいか?」
 俺はもう一度だけ、聞いた。







02



 こうなった原因がどこにあるのだろうかと、時々考えることがある。
 ベッドの上に半分だけ敷かれているのは、倉庫で死体をバラす時に使っているビニールシートだった。そこにうつ伏せに横になっているベルナルドが、俺を仰ぎ見て口元だけで笑う。
 この先の行為を促すかのように。
 原因も何も、この男一人が無茶苦茶を願っている、だけだった。
 シャツしか羽織っていない男の右足を掌で撫でると、くすぐったそうにベルナルドは身をよじる。よく手入れをされた肌に触れていた指が、足先までは届かず途切れた。ふくらはぎの半分ほどから、ベルナルドの足は既にない。
「……ルキーノ」
 ベルナルドは俺の名前を呼び、今度こそはっきりと先を求めた。
 今更、拒否権はない。
 拒否権を失うほど、俺はどうしてこいつの言うことを大人しく聞いて、理解出来ない性癖に付き合わされているのか。
 床に置きっぱなしだったウォッカの瓶を持ち上げ、先のない足に振り掛けた。瓶を置いて同じ場所に置いてあったものを代わりに拾い上げる。
「舌噛むなよ」
「ああ」
 俺の言葉に返事をした声は、明らかに喜色が滲んでいる。どうかしている。ベルナルドの望みは正気の産物ではない。
 それでも――それを止めるどころか手伝ってる自分にも、確かに原因はあるのだ。
 太腿を縛ったベルトを確認してから、まだ塞がったばかりの生々しい赤黒い肉がところどころのぞいた足先にナイフを入れた。ピクンと反応したベルナルドの身体は、それ以上は動かない。
 以前に自分が縫い合わせた荒い縫合痕をまた切り開いていく。ベルナルドの顔を伺うと、枕に顔を埋めたまま声も上げていない。
 いつもの通りだった。だから自分もいつも通り、ぐるりとナイフで下の切断面から二インチほどの厚みを皮膚を切り裂いた。
「――ッ…ぅ……」
 布越しのくぐもった声が聞こえ、ベルナルドが身体を震わせる。敷いているシートがカサリと小さな音を立て、流れ出した血液がウォッカと混ざった。
 刃先が太い骨に当たるほど深く突き刺したナイフが最初に付けた傷に戻り、刃を倒し引くとズルリと肉ごと皮膚が剥がれる。
「ァ……っふ…、く……」
 べしゃりと血の海の中に切り離した肉塊を落とすと、ベルナルドの左足の指がまるで射精する直前のように丸められ、吐息が乱れた。無駄と分かりつつも気遣うように肉を切り離した上、膝のあたりを撫でると、痛みに呻いていた声が忍ぶように笑う。
「いい……から、はやく……」
 先を強請ってくるどうしようもない男に、見えない場所で頷いて、血で汚れたナイフはそのままに糸鋸を拾い上げた。
 足を押さえつけて、鮮やかなピンク色をした肉片をまとったまま突き出た白い骨に糸鋸をあて引き始めると、まるでそういう楽器のようにぬめったような骨の削れる音が響き始めた。
「く…ッひ…………、っ……!」
 肉を外した時より酷い悲鳴を枕に吐いたベルナルドが、俺が押さえつけていた手を跳ねのける勢いで何度か痙攣する。それでも鋸を動かしつづけると、やがてベルナルドはぐったりと動かなくなった。
 一度だけ手を止め、息をしているのだけは確認した。汚れていない手の甲で額にびっしりと浮いた汗を拭う。そしてそのまま、作業を再開した。
 周囲を無理矢理削った骨を折るように外し、皮膚をを引いて骨の断面を覆うように傷痕を縫いあわせる。医者でも何でもない人間の付け焼刃の作業だが、何度かすれば慣れだけは出てきて、思ったより早く後始末は終えられた。
 肉を皿に上げ、溢れた血液はグラスに注いでシートを引いて片付ける。用意していたタオルでベルナルドの血だらけの下半身を拭き始めて、身体を仰向けにするために半ば起こすと、男は射精していた。
 溶けたクリームみたいな白濁をこびりつかせた場所を見つけて、苦く笑う。本当にどうしようもない。――俺自身も。
 ぐったりとしたベルナルドから眼鏡を取り上げ、額にキスをした。それから萎えたまま精液を吐いている場所にも。
 ペニスを甘く噛み、皮に溜まった白濁を啜った。苦く、甘味などまるでないのに、先に差し出されるデザートだと思った。
 “わたしをたべて”なんて、女の睦言以外では、ルイス・キャロルの本の中でしか聞いたことがない。
 三十を大分過ぎた男が言うには、狂気じみていたし――だからこそ、冗談ではなく本気だと気付いた。
 その本気に、自分の嫌悪を押してまで付き合うほど、俺はこの男に惚れ込んでいたのだろうか。自分ですら、どうしてこんなことを出来るようになったのか分からなかった。
 目減りしていくベルナルドの足を見ながら、俺たちは、俺は、どこまで行くつもりなのだろうかと思った。









03




「こうなって、自分の身になったことは、料理が多少作れるようになったくらいだな」
 ルキーノは言い訳のように呟きながら、テーブルの上の食事に手を付け始めた。
「もう一つあるだろ。身になったことなら」
 ベッドに寝転がったまま投げつけた言葉に、ルキーノは怪訝な表情を浮かべてから、やがて合点が言ったらしくさらに表情を曇らせた。
 窓は開け放たれ、レースのカーテンがゆらゆらと幽霊のように揺れている。シャツ一枚で毛布すら掛けられていない下半身が、少し寒い気がした。
 自分の血の鉄臭さと、窓の外から漂う海風に混じって、ビネガーの匂いがする。
 フォーク一本だけでルキーノが皿の上からすくい上げている、鮮やかな赤色をした薄い肉片に目を細める。
「生で食うのか」
「コレには合うからな」
 問いかけに簡素に答え、ルキーノはグラスを傾ける。チャイナタウンだかどこかでみたような料理を口にし、噛み砕きながら赤いグラスを干す姿を、じっと俺は見ていた。目の前の男の柔らかな舌と形の整った歯で、いま自分が咀嚼されているのだと思うと、ふつふつとこみ上げる喜びに笑い出しそうになるのを堪える。
 サシで食事をしてからだ、そんな想像を堪えられなくなったのは。俺をこうしたのは結局ルキーノだと思っているのだが、余りに不条理すぎるので流石に口にして責任を押し付けることはしないでいた。
 カチリ、と俺を食べていたルキーノは急にフォークを置き、それで俺の意識が現実に戻される。
「いつまでこんなこと続ける気だ?」
 今度はルキーノが俺と視線を合わせないまま問いかけ、目の色とよく似た赤に染まった舌で唇を舐めた。
 貧血でうまく動かない頭のまま、俺は首を傾げ「できる限り」と囁く。
 ルキーノは黙り込んで、再び食事を再開した。一緒に皿に盛られているだろうクレソンを巻き込みながら生の肉を食べる姿は、最初に吐きかけながら食べていたルキーノとは雲泥の差だった。
「美味そうだな……」
「ああ」
 短く答えて、ルキーノは料理を口にする直前にフォークを止め、尖った先を眺めた。それから、食事中にも関わらず立ち上がり、俺の側に立つとフォークを突き出してきた。
「食べてみるといい」
 料理の突き刺されたフォークと、ルキーノを笑っているんだかよくわからない顔を見比べる。
「ベルナルド、食べろよ」
 こんな態度を取られたのは、初めてだった。不思議とずっと従順だった男が取った唐突な行動に少なからず驚きながら、そっと口を開く。
 ルキーノはまるで病人にするように俺の舌の上に料理を乗せ、肉を歯に引っ掛けながらフォークを引き抜く。ワインビネガーと混じって、質の良さそうなオリーブオイルの匂いがする。そのまま俺が口を閉じようとしたら、顎を掴まれた。
 視界の端でルキーノがフォークを手放し、床に転がってチャリンとコインが落ちるような音を立てる。
「ベルナルド……そのまま……、そうだ」
 顎を掴んでいた手の親指が唇をなぞり、すっとルキーノの顔が近づく。
 痛み止めを飲まされる時のように唇を重ねられ、口内で俺の体温が再び宿った肉が、ルキーノに食べられていく。
 背中が粟立ち、思わずルキーノを掴んだ手がまっさらなシャツの布地に深い皺を刻む。
「ふ…ぅ、ン……――」
 じわりと涙が浮くのを見つけられ、口づけたままルキーノが鼻で笑う。
「んっ……」
 漸く唇が離れて呼吸が出来るようになると、ルキーノとの間に出来た唾液の線が赤く濁っているのにみとれた。
「美味いだろ?」
 涙を拭われながら言われると、頷くしかない。それに、身体の方が正直だ。
「……でちまった」
 羽織っただけのシャツの裾を持ち上げ、べっとりと白濁に濡れた場所を見せると、ルキーノはまた笑った。
「あんたは本当に、どうしようもねえな」
 傍らに置きっぱなしだった血だらけのタオルで乱暴に精液を拭き取ると、ルキーノはタオルと床に放る。そして代わりに、残りを食べるためにフォークを拾い上げた。
「良いこと教えてやるよ」
 行儀悪く、フォークの先を噛みながらルキーノが言う。
「最近な、“あんた”以外の食事の時、時々吐くんだよ。どういう意味だと思う?」
 プラプラとくわえたフォークを揺らすルキーノを凝視すると、ルキーノの方が先に笑い出した。
「そんなに嬉しいか、変態め」
 手を顔にやると、俺の口元は薄汚い笑みを確かに浮かべていた。












04



「意外だなあ、あんたがこういう事に興味持つなんて」
 フライパンに出来たてのパスタソースをスプーンで味見していたら、背後からそんな言葉を掛けられた。
 こちらも茹で上がったばかりの、湯気のもうもうと上がるパスタをオリーブオイルに絡めて皿に盛りながら、ジャンはとつとつと話す。
「あんた、女か部下にでも声掛ければ幾らでも作ってもらえるだろ?」
 コンロの火を止めたが、トマトベースの真っ赤なパスタソースからはまだ小さな泡が浮き上がってくる。見慣れた肉の断面によく似ていた。
「自分のメシくらい、自分で作りたくなっただけ、だな」
 そう嘘を吐いたが、ジャンは納得したらしく「ふうん」と呟く。けれど、幾つめかの皿にパスタを取り分けながら、ジャンは何でもないことのように付け足した。
「どうでもいいけど、あんた、ベルナルドと何かあるだろ?」
 幹部会議の直前、いつものように本部の調理場で料理を作ろうとしていたジャンを追ってここに訪れた時から、何か言いたそうにしていたのはこのことだったかと、小さくため息をつく。
「……どうしてだ?」
 念のため聞き返すと、一瞬だけ俺に視線を向けたジャンは、少し笑ってまた皿に視線を落とした。
「あんたら二人が休み被ると、休み明けにベルナルドの顔色悪くて、あんたがツヤツヤしてるから」
 聞かされたのは、意外な言葉だった。
 ベルナルドの状況は、仕方がない。――それにしても。
「ふ……フハ……そうか、そう見えるか」
 ジャンは怪訝そうにもう一度俺を見たが、笑うしかなかった。あんな正気とも思えない性癖に付き合わさせられて、もうどれくらい経ったか。あの男の足と引き換えに、俺自身も、戻れない場所まで欠けてしまっている。それも、他人から見える形に。
「それで、俺は消されるのか?」
 半ば笑ったままの俺の問いかけに、今度は想像通りにジャンは首を横に振った。
「べっつに。俺のただの想像の話だしー」
 指にお湯が跳ねたのか、人差し指に息を吹きかけながらジャンは世間話の続きのように言う。
「ただちょっとは気を使ってやれば……――って、だからか、この料理。なるほどなー……あんたも甲斐甲斐しいところあるじゃん」
 勝手に合点がいったように頷いたジャンの側に、フランパンを持ったまま近寄る。
「想像の話だったんじゃないのか?」
「ハハ、そうだった」
 何も知らない綺麗な青年の髪を、俺はかき混ぜた。
「お前はいい男だよ」
 心の底からそう言うと、髪をくしゃくしゃにされたジャンは照れたように顔を背ける。
「わー! やーめろって! こぼれる!」
 そうして子供のようにはしゃぎながら最後の皿にパスタを盛り終え、空いた鍋をテーブルに置いたジャンに、スプーンを突き出した。
「なあジャン、一応味見してくれよ」
「ん、あー」
 口を開いたジャンの舌の上に、真っ赤に染まったスプーンを乗せる。ぱくりとその中身を啜ったのを確認して引き抜くと、一瞬スプーンがジャンの歯に引っかかって、この間のベルナルドの口から食べた時の事を思い出した。
 俺はあいつのように、射精したりはしなかったが。
「んー……ハムにならバジルのが合うと思ったけど、トマトソースも合うなあ」
「だろう?」
 もぐもぐやりながら、俺からフライパンを奪い、「冷めるぜ」とさっさとパスタにソースをかけ始める。
「つーか、あんたの持ってきたハム、美味い。どうせ高いもんなんだろ?」
「いいや、俺が作ったんだよ」
「へえ」
 このやりとりを、ベルナルドに聞かせてやりたいと思った。俺はぼんやりとした笑顔を貼り付けたまま、赤いソースがべったりと掛かったパスタをトレーに乗せていく。
「ベルナルドたちが腹空かしてるぜ。イヴァンは文句言ってる頃だろうし……あー、ジュリオちゃんは大人しく待ってるだろうけど」
 ベルナルドの性癖も俺の悪意も知らないまま、ジャンは微笑んでいるので「そうだな」とだけ答えて、ベルナルドがどんな顔をするのかを空想した。
 ――きっと、ジャンよりも誰よりも、喜んでくれるだろう。









05




 ネジが床に転がり落ちるのを見ていた。
 窓には暗幕が降りていたが、薄いドアの向こう側から柔らかな雨音がする。天井には小さな白熱電球が揺れていた。
「眠いなら、暫く眠っていきますか」
 雨と同じように優しい声が降ったけれど、薄ぼんやりと開けた目で男の白い髪を見る。
「いや……まだ掛かるか?」
「いいえ、そろそろ終わりです」
 椅子に腰掛けた俺の足元に屈んでる男は、普段外で見るときとは違いヤッケを羽織らずに、作業員が着るような薄手のシャツ一枚でそこにいる。
 男が顔を上げ、線を引いたような軽薄な口元が笑った。
「どうぞ、立ってみて下さい」
 手を差し出され、その掌を借りて立ち上がると、自分の右足の下からギシリと金具が噛み合う音がする。義足をはめられた足で、トントンと何度か地面を踏み直すと、具合は悪くなかった。
「良好だ、ラグ」
 そう告げると、ラグトリフは頷いて工具を片付け始める。俺も椅子に座り直し、背もたれにかけてあったスラックを拾い上げた。
 それに足を通そうとして、義足の継ぎ目に手を伸ばす。もう、太腿の先しか残されていない場所を撫で、終りを考えた。
「分かっているとは思いますが、左を使い始めたら、“挿げ替えても”今度は簡単に立てませんよ。それなりの日数がいります。意味はわかりますよね?」
 棚に工具を片付けながら言うラグに、見えていないと分かりながらも小さく笑う。
 そうして、俺を責める人間はどこにもいない。ああ、もしかしたら、ジャンだったら――と思いかけて、この間の幹部会での食事を思い出して喉を鳴らす。あの男のサプライズのせいで、危うく会議の席で下着を台無しにするところだった。
「ベルナルド、聞いていますか」
「ああ――分かってる。分かってはいるが、どうだろうな」
「そういうのを、分かっていないって言うと僕は思うんですが」
 気が付けば、心底呆れたといった表情を浮かべたラグが目の前に立っていて、さっきと同じように俺の足元に屈む。そのまま手からスラックスを奪われ、足を持ち上げられると諦めて大人しくされるがままでいた。
 スラックスをはかされ、ベルトまできちんと留められると、ラグは俺のもうない膝を撫でる。
「あなたはこうやって失うばかりだ。それで何が満たされるって言うんですか」
 目を細め、痛ましいモノをみるようなラグに、俺は違和感を覚えた。
「お前には、そう見えるか」
 そう言うとラグは顔を上げ、ジャンよりも鋭い色をした金の目で俺を射抜く。
「昔からあなたはそうじゃないですか」
「いや……、俺はこうなって初めて、腹が満たされている気がするんだ」
 擬似的なジャンを目の前にしているような気分で、俺は自分の心情を告白した。狭く、薄暗い部屋で、真っ白い男相手にそれをしていると、まるで懺悔のように思えた。
 誰にだって救われるつもりはなかったが。
「今まで、な……飯を食うだろ。腹が膨れると死にたくなるんだ。セックスして、達して、どこかが満たされると、やっぱり同じだ。ずっと、そうだった」
 下品なセリフを並べても、ラグは普段の顔のままだ。
「今は、そうではないと?」
 問いかけられ、頷く。
「ルキーノが昔言ってたんだがな、薬をヤルと、渇いた喉が出来るそうだ。末期の薬中を何度か見て、その話は納得できた。それと同時に、俺自身にもそういう喉があるんだと思っていたんだ。満たす方法はわからなかったが」
 喉に手をやると、まるで十字を切るような仕草になって自嘲した。
 やはり、救われたいのか、と思った。けれどそれと同時に、ならば――今、既に救われたのだ、と気付く。
「ルキーノが……満たしてくれた、――ああ、そうだ。きっと。だから、俺は失っていない。やっと、手に入れた」
 それはもう、だたの独り言だった。ラグが手を置いたままの左足を見た。
 まだ、俺はたべられる。
 ラグは暫く俺の顔をじっと見ていたが、やがてため息をついて諦めた。
 立ち上がったラグに、俺は思い出して手を伸ばす。
「そうだ、これを指輪に加工出来ないか」
 ジャケットのポケットから取り出した塊を、ラグの手の中に半ば強引に押し付ける。
 ラグはその乱暴に糸鋸で削り取られた塊を指でつまみ上げ、しげしげと眺めた。
「できなくはないですけど、あなたの骨ですか」
 その言葉を聞いて今度は同じ手の中にメモをくしゃりと被せた。
「サイズはこっちだ」
 めくった紙の中身を見て、ラグははっきりと表情を曇らせた。滅多に見せない顔に、悪戯を成功させたかのような奇妙な気持ちになる。
「あなたのではないですね、これ」
「……首輪だ」
 そっと床に落とした呟きに、ラグは言葉を失った。
 数秒間の無言の後に、ラグは俺の骨の欠片を見ながら口を開く。
「……彼は、そんなに美味しいですか?」
 感情のない、水滴のような声音に俺は目を閉じた。雨音がする。心地いい。生きている気がした。やっと、ようやく。
 ヤクザ者に身を置いて死ぬことに近づいてすら感じることが出来なかったものを、いまやっと謳歌している。年甲斐もなく、多少はしゃいでも仕方がないんじゃないだろうか。
 だから俺はラグに隠しもせずに表情を見せた。

「僕は確かにあなたの友人ですが、今だけは彼に同情しますよ」
 目を開くと、突き放すような言葉を吐いた友人は、柔らかく微笑んでた。









06



 丁度、週末だった。
 毎週のことだが、俺は請求書の束を手にベルナルドの手があくのを待って、執務室のソファに居座っている。俺はすることもなく、ミルクの溶けた琥珀色のコーヒーの表面を眺めながら、ベルナルドの神経質そうな仕事用の声を聞いていた。
 変わりなどない。蓄音機で繰り返されるレコードのように、いつもの文言でいつもの時間があったが、ベルナルドの右足がすっかりなくなっていることを知っているのは、この場所で俺だけだった。
「――と……ルキーノ、すまない待たせたな」
 受話器を置いたベルナルドがデスクに手をつけて立ち上がる。その僅かな変化を、部下の誰かくらいは気づいているのかもしれないが、ともかく。
「ああ、今週の分を頼む」
 俺もまた立ち上がり、側に立ったベルナルドに束ねた書類を手渡す。
 受け取った端から、仕事用のツラで数字を数えている年上の男は、秘密のことなど何もないような顔をしていて、もう何週間誘われていないのかと思わず考えてしまった。
 このまま、終わってもいいのだろう。引き返すことは出来ずとも、これ以上間違えることはない。
 俺はベルナルドの瞬きを見ながら、無意識に書類の束に手を伸ばしていた。
 怪訝な顔と目が合い、俺は一度だけ悩んで、無意味な場所を指さす。
「ここ、な……」
 数字も何も書かれていない空白の場所を、微かに指を動かし断続的に叩く。カサリとベルナルドの手の中で、紙の擦れる音が溢れる。
 一定のテンポを刻むそれに、通信兵だった男が意味を取り違えるはずがなかった。
 周りに部下のいる状態で無音の言葉を投げかけると、じっと見ていた目が細められ、口元が僅かに開いたのが見える。
 この性悪は、俺が言い出すのを待っていたのだと漸く気付いた。それから、指輪の意味も。
 指先で全てを告げてから、自分の左人差し指の白い指輪に口づけた。
 掌で転がされている。自ら服従の首輪を見せるようなものだ。手に刻まれたタトゥ以上に鎖を持とうなんて、どんな冗談だと自分でも思う。
 ベルナルドは唇を震えさせていて、下らないプレイに喜んでいるのが分かった。その顔に、俺自身も喜んでいる。
 どうしようもない堂々巡りは、自らの尾を追う愚かな犬のようだ。
「ルキーノ」
 ベルナルドは書類を後ろ手にデスクに置くと、はっきりと笑った。
「久しぶりにこのあと、飯でもどうだ」
 喉が鳴るのが分かった。きっと、ベルナルドにも伝わっただろう。
「――ああ、店は俺が選んでも?」
 告げると、目の前の男は笑みを深め、頷く。
「いいシェフがいるところにしてくれ」
 分かりきった事を言うベルナルドを今すぐデスクに押し倒したい気持ちを殺し、ああ、と俺はよそ行きの笑みを浮かべた。












07



 週末の夜だった。
 仕事の都合上、一旦部屋を出て行ったルキーノの部下から言伝が届いて、俺は待ち合わせに指定されたバールにいた。
「初めて、あんたと二人で食事した店だ。当時は俺のシマじゃなかったけどな」
 手酌でグラスを傾けていた俺に、背後から声がかけられて、ルキーノは自然に隣に立った。どこで何をしていたのか少しだけ男は息が上がっていたが、バーテンダーに目配せをして、それだけでルキーノの前にショットグラスが置かれた。
「あの頃から、随分と優雅に食事を摂るやつだなとは思ってた」
 確か、自分もまだ幹部候補の頃だった。偶然居合わせたか何かで、二人でいた理由自体はまるで記憶になかったが、それだけは覚えている。
「筋金入りだな」
 ルキーノはグラスを一口で干して、それから腕時計に視線を落とした。
「待たせたか?」
「まだ一杯目だ」
「なら良かった。待たせるのは流儀に反する」
 そこまで会話してから、待たせる意味が違ったかもしれないと気づいた。いや、どちらでも変わらない。終わりならそれはそれで良かった。
 終わらせないことを選んだのなら、それも俺は嫌ではなかった。
 頭のどこかで、ラグが「首輪までかけておいてなんて言い草ですかね」と言った。まったくその通りだと妄想の中で友人に謝罪し、俺はグラスに再び口をつけた。
 ひたり、と背中に何かが当たった。
「動くな」
 ルキーノは横でまるで何にも気づかず、涼しい顔で二杯目をやっていて、聞き覚えのない声に俺は振り返り掛けた。
「……動くな」
 もう一度、警告があって背中にあたっているものが動かされた。最初から分かっている。俺の背中に熱烈なキスをしてくれているのは、銃口だ。
 英語ではあったが、明らかなイタリア系のイントネーションが耳に残って、俺は違和感を覚えた。
「外にでろ。車がとめてある」
 殆どチンピラの定型文と共に銃口で背中をこつかれてから、ああこれは誰かの用意した茶番なのだと合点が行った。
「少し外すよ」
 俺がグラスを置いてそう言うと、ルキーノは何も言わずに片手を上げる。
 俺は男に従ってバールの出口を潜り、前に止められていた地味なフォードに押し込められた。思うほど乱暴にはされずに、大人しく後部座席に座っていると、ほどなくどこか海辺の倉庫に車ごと連れ込まれた。
「降りろ」
 そこで初めて男の顔を見た。まだ大分年若く、下手をするとまだ十代かもしれない。
 見慣れたビニールシートの敷かれた倉庫に着くと、相手はそわそわし始めた。俺を拘束するでもなく、ただ銃を背中につきつけている男は荒い呼吸で今にも死んでしまいそうだった。
 やがて、銃声が一発だけ、背後でした。もちろん、俺が撃たれた訳ではなかった。
 振り向くとぐしゃりと人形のように潰れた男が足元で後頭部から血を吐いている。
 かつりと聞こえた足音に視線を上げると、ルキーノがハンカチでくるんだ銃をホルスターに戻しているところだった。
「これが俺の用意したシナリオだ。あんたは俺の下の下についていた構成員に殺されて死ぬ。ただの内部抗争だ。すぐ手打ちになる」
 淡々と語るルキーノは、まるで役者のようだった。実際、この茶番の監督件主演ではあるのだろうが。
「こいつの家族を養うのは俺の役目になるが、組からあんたの退職金代わりに経費で落とすしな」
 ルキーノは敷かれていたビニールシートを折りたたんで、血だらけだった死体も場所はまるでなかったことになった。
 コンクリートの白さを眺めながら、俺はさっきまでやっていたアルコールに酔っているのかと自分を疑った。流れ作業のような光景だった。
 俺を喰うために、自分の何もかもを捨てて、俺の何もかもを奪うつもりなのだ、この男は。
「気に入らないなら、別の方法を用意するが?」
 誰かの人生をあっさりと奪っておいて、ルキーノは子供のように無邪気に言う。
 ルキーノをこう作り替えてしまったのは俺だった。感じなければならない筈の後悔よりも、背中を這う愉悦の方が俺には優った。
「……最高だ、ファンクーロ」
 吐息のように漏れた言葉に、ルキーノは口角をにっと上げて俺を抱き寄せる。義足がバランスを取れずに崩れて、俺たちは雪崩るように床に転がり、そのままついばむように幼いキスをした。
「この年になって、こんな情熱的なプロポーズを受けるとは思わなかった。俺が女だったら下が大洪水だったな」
「女じゃなくても洪水起こしてンだろ。締りが悪いココは」
 尻を撫で上げられて、俺はびくりと身体を震えさせて苦笑する。
「さて、あんたは運河から骨で見つかってもらわないと困るが、その前に死体の一部をココに置いていかないとマズイ。ジャンの幸運の女神から隠し通せて、ジュリオの鼻もイヴァンの勘もだまくらせるヤツだ」
 ルキーノはまるで明日の天気でも占うかのように子供の笑みを浮かべて、膝を付いて座り込んだ状態の俺抱いたまま、背後で手元を動かす。ゴトンとビニールシートから引っ張り出された何かが、床にぶつかる音がした。
「俺の一部以外の死体を演じてくれる、哀れな子羊は誰なのかね……」
 俺はそれに目を触れさせないままルキーノの首に腕を回し、またキスをする。
「どうせ魚の餌だ。背格好似てる死体なんて、どっからでも出てくるだろ。それこそ、掃除屋にでも頼むさ。俺からの頼みを断る訳がない」
 そうだろう? とルキーノは俺に歌うように言って俺の背中を撫でた。
「あんたのココを喰えないのは少々惜しいがな」
 俺の背後で、空気が動く。
「――、ァ」
 ストン、と振り落とされた何かが俺の足首を通過したのに気づいた。
 焼けるような感触に首だけ傾けて自分の左足を見ると、玩具のようにひん曲がって靴があらぬ方向を見ていた。どっとそこから心音に合わせて血液が溢れ、俺の意識を薄れさせる。
「う、あ…………、ルキ、ノ」
 殆ど無意識に縋るようにルキーノの背中に指を食い込ませると、また優しく背中をさすられる。
「ああ、悪い。少し残ったな」
 苦笑したルキーノの身体が離れ、地べたに転がされる。男は表情も変えずに鉈の峰に手を置き、コンクリートの床に押し付けるように体重を込めた。
 残っていた皮と肉が剥がれごり、と足先は切り離される。
 そこでようやく俺は意識を持って行かれかけるほどを痛みを感じたが、その一瞬だけだった。俺のイカレている頭は脳内麻薬をさっさと分泌しはじめたらしく、心臓が動くたびに先のなくなった場所が血液を吐くのを、死ぬ前の快感に変換してしまう。
「嬉しいか?」
 何を問われたのか血を失い始めた頭には分からなかった。
 それでも口元を血だらけの手に撫でられて、自分が笑っているのを指摘されたのは、分かった。
「変態め」
 赤の映える、鮮やかな表情でルキーノははっきりと俺を嘲笑し、先のなくなった足を引いた。少しの距離を引きずられ、ずるりと背中が血に濡れる。
 ルキーノは自分のネクタイを解き、慣れた手つきで俺の足をスラックスの上から止血のため縛った。
 まだ血液の滴る裾口を止血を終えた手が丁寧に捲り上げる。切り落とされたというよりは、潰された断面を、ルキーノは俺に見せつけるように口づけた。
「ア――」
 ぴちゃり、と音を立てて血を舐められ、痛みはあったのかもしれないがそれ以上に喉が満たされた。
 何度かその場所を啜ったルキーノは、まるでB級ホラー映画の吸血鬼みたいな風体で、満足気に俺に手を伸ばす。
「ハハ、コンプレートが台無しだな。それに――髪まで真っ赤だ」
 手の甲で口元を拭う自分のことは棚に上げて、ルキーノは言うと、血液でべったりと濡れた俺の髪を一束拾い上げた。
「あんたの赤毛は嫌いじゃないな。似合ってる」
 そこにも唇をつけ、優しく抱き起こされた。
「こういう揃いも、悪くない」
 担ぎ上げられて身体が浮き、ぼんやりと濁った視界にさっきまで履いていた靴と、その中に丸のまま残った足の断面が見えた。
「ルキーノ……」
 掠れた声で勝手に俺の口がルキーノを呼ぶと、顔を覗き込まれる。
「愛してる……」
 俺が酸欠のまま呟いたくだらない寝言に、ルキーノは新婚の幸せそうな男のように微笑んで、何度でも真っ赤なキスをくれた。
「帰ろうぜ、俺のマイアリーノ」
 そうやって、俺たちは自ら出口を失った。

















08



 俺が葬式から帰ると、ベルナルドはベッドの下を半ば這うような格好で、行儀悪く本を読んでいた。
「落ちたのか?」
「ん、ああ。お帰り」
 なんでもないようにベルナルドは返事をして、本を閉じると届かない距離を手を伸ばしてくる。
 俺は誘われるように、歩み寄ってベルナルドを抱き上げた。両足を失った身体は酷く軽く、昔のことを思い出しかけた。
「ベッドに柵が必要か?」
「この年でベビーベッドに収まれって?」
 些細な問答で、思い出しかけた記憶は形を持つ。ベルナルドはあっさりとそれに気づいて――そもそもわざと差し出した話題だったのかもしれないが、そうやって俺に優しく口づけた。
「今日は花の匂いがするな」
 ちゅ、と音を立てて離れた唇が言ったので、そっとコンパクトになった身体をベッドの上に戻す。
「あんたの棺に入れてきたからな」
 恐らく想像していただろう俺の答えに、ベルナルドは満足そうに微笑んで、小さく頷く。
「死ぬのも悪くない」
 命と不満足な身体だけ残して何もかもを失った男が、誰よりも幸福そうに笑うものだから俺はベッドに上がらないままベルナルドに向き合って唇を奪う。
「もうダシを取るくらいしか残ってないのが、そんなに嬉しいか?」
 ベルナルドは不器用に身をよじりながら、やはり笑っていて、言葉はなくとも肯定していた。
「スープにされても喜びそうだけどな、あんた」
 がぶりと首筋を甘噛みすると、微かに感じている吐息が漏れる。
「俺は鶏ガラか何かか?」
「骨だらけの身体は趣味じゃねえよ。毎日、人の手からしかメシを食わないワガママ放題してる癖に」
 何の捻りもない文句をつけたベルナルドをお仕置きするように、羽織っているシャツを剥ぎ取って、真っ白な素肌にいくつもキスマークをつけていく。
 薄い肌着を取り去ると何も履かせていない下半身があらわになり、既に根元までない両足の傷がよく見えた。左足にはまだ縫い付けられた糸が残ったままで痛々しかったが、傷を開かないように撫でながらその腹に鬱血を散らすと、血の飛沫に似ていて興奮した。
「……飼われてるのが嬉しいんだよ」
 白い肌で遊ぶ俺の頭を抱え込んで、ベルナルドは処女のように囁いたので、唇を吸った。
「知ってる」
 至近距離で告げると年上の恋人は初々しく喜んで見せ、まるで俺の方がいくつも年上のように錯覚する。
「俺は結局、あんたの手の上で転がされてる。こんなこと知られたら、俺が失うのは命だけじゃすまないっていうのに……あんたは、もう何も持たないから気楽だろうが」
 重苦しいことを口にしているのに、口調も声音も軽やかに言葉は出た。だからベルナルドもクスクスと声を漏らし「まだ食べ足りないか」と俺のネクタイを引く。
「……もっと食わせろよ」
 首輪を引かれ、相手の望み通り唇に噛み付くのもよかったが、俺はネクタイを解きベルナルドの身体をひっくり返した。丁度腰の高さにあるベッドにうつぶせにさせると、“料理”するにはお誂え向きになった。
「片足がなくなった後も思ったが、両足がないと余計に丸見えだな、ココ」
 抵抗できないベルナルドの尻を叩きながら、ジャケットもベストも脱ぎ捨てる。尻を両手で開いてやると、ベルナルドの手が俺の手首を掴んだ。
「んっ、……あんまり」
「シモの世話もさせてる癖に、今更恥ずかしがるのか?」
 妙なところに照れを見せる男の尻に、ベッドサイドに置いてあった傷の手当に使っているオイルをぶちまけて瓶を放ると、迷いなく指を差し入れる。
「こんなに挿れやすい身体になったのは、自分の望みだろ」
「ッ、ひ……ア、ちが…」
「何が違うんだ?」
 指で窄まりをほぐし始めると、あっという間に溺れていくベルナルドが可愛かった。俺の手首を掴んだままなのに、それ以上何もせずに震え、俺に感じていることだけをその手から伝えてくる。
「セックス、嫌いじゃないもんなあんた」
 前立を開け、どちらのペニスには触らず、てらてらと滑る場所にすっかり勃起していたものを滑り込ませた。
「ン、ぅう…っは――」
 押し込んだ途端に締め付けてくる場所に亀頭だけをぐぷぐぷと出入りさせる。
「あっア……――そ、こ」
 女のように喘いでいるベルナルドの腕をつかみ返して身体を引いてやると、先が引っかかっては沈むのにベルナルドが背中を反らせて反応する。
「……こっちも結局、俺を食ってるな」
 独り言を漏らし腰を掴み直して、入口を遊んでいたペニスがゆっくりと奥に向かって押し込むと、ベルナルドは細い悲鳴を上げた。
「深、い――っふ、ぅ…ぜんぶ、は無理……」
「どこがだ?」
 弱音を吐く男の腰を引き寄せるように一気に貫く。ベッドがギシリと悲鳴を上げた。
「――――ッ!」
 吐ききった息も吸えず唇をわななかせている口に、舌を押し込むように指を咥えさせ、また腰から尻を撫で、足の終わりに爪を立てる。
「好き勝手蹂躙されるヤツが好きだろ? そうやってマゾヒスト装いながら、俺を好きに操ってる妄想も使って、サディズムまで満たしてる変態の癖に」
 傷を弄られる快楽にいつも通り、弛緩しかかった場所に埋めたままのペニスは動かさず耳に毒を流し込むと、それだけでベルナルドは痙攣して、シーツの上に漏らしたらしかった。
「相変わらず締まり悪いな。言葉でイっただろ」
 平手でまた尻を叩くと、それだけでまた中が締まる。
「あ、ァ……るき、」
 俺を呼ぼうとしながら拙く指をしゃぶる感触に、背中がぞくりと粟立った。
「ああ、これで丁度いいな……」
「ルキー、ノ……ひ、ぅ…でる、また………、ァ」
 ベッドに押し付けるように腰を使うと、ベルナルドの腹の下で粘液に塗れぐずぐずに溶けたペニスもまた刺激されるようで、ひくひくと背中が震えていた。
「オンナみたいにイってるな。ほんと、どうしようもねえ」
 唾液で溶かされた指を引き抜いて顎を撫でると、突っ込んだままベルナルドの身体をまたこちらに向けた。
「っん、ふ……ぁ」
 イイ感じに緩んだ顔から曇った眼鏡を外してやりながらキスを落とすと、ベルナルドは唇だけで「たべて」と囁き、俺に手を差し出す。
 その手を取ると、ベルナルドは愛おしげに俺の指輪の掛けられた指を撫でた。
 俺は笑って、掴んだ爪先に口付ける。
「あんたがどうしようもなく、俺に縋るのが好きだ。なくなったら困る」
 ぼんやりした色をしているグリーンを直接舌で舐めると、ベルナルドはまた身体をひくりを動かした。
「足がないお前が好みだよ。逃げれないだろう。俺を頼るしかない。ここでしか生きていけない。なあ、全部お前のせいだ」
 そこまで言い切ってから、ここに落ちたのは誰の意志だ、と俺は気づいて――ベルナルドの方が先にうっとりと笑う。
「いいんだ……」
 穏やかな死人囁きに俺は、ベルナルドをたべた。