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しねばいいのに

 フカフカのカーペットを踏んで、長い廊下を歩いてその先の一室の前で黒服の男に声を掛けた。
「報告書と請求書を」
 短くそれだけ告げると、対応に慣れた兵隊がドアの前を開けてくれる。
 いつものように軽いノックを響かせ、返事を聞かずにドアを開いた。
「――おばんです、オルトラーニさん」
 予測通り、目的の主は受話器を片手に、反対で器用にタイプライターを叩いていて、応接用のソファに目配せする。
「はいはい、了解です」
 彼らしい『待て』の仕草に、忠犬のようにソファに腰を下ろす。
 机の上に用意されていた空のティーカップ、に並べて置かれたサーモスからコーヒーを注いで、半分ばかりを満たしたカップにミルクと角砂糖を幾つか投げ込んでかき混ぜた。
 渦を作るコーヒーの水面を眺めている間に、電話を終えたらしいベルナルドが机の上にファイルを投げながら正面に座った。
 ベルナルドがケースから煙草を取り出すのを見てもう一度カップの中に視線を落とす。カタカタとスプーンがたてる音が無言の間に落ちる。彼がシガリロに火をつけるのを待ってから、口を開いた。
「お邪魔でしたか」
「いや、流石にそろそろ切り上げようと思っていたところだ」
 深い息を煙と共に吐き出して、疲れた笑みを浮かべたベルナルドと目線を合わせる。
「仕事上がりに申し訳ありませんけど、僕の仕事も受け取ってもらえますかね」
 そう言うとベルナルドは緩く笑って、まだ長いシガリロを行儀悪く空の灰皿に押し付け、掌を差し出す。
 指先がインクで汚れている彼の手の上に請求書を乗せると、幾つかぶつぶつと口の中で呟いてから、ファイルにそれを挟んだ。
「週明けには振り込んでおく。表の口座で問題ないか?」
「はいはい。普段通り、クリーニング社名義でお願いします」
 普段ならそこで会話は終わりで、僕は腰を上げて回れ右してる頃だった。
 まだ口をつけていないカップの中身とベルナルドの顔を見比べてから形だけは申し訳ない風に言う。
「コレ、飲んでいっても?」
 じっとベルナルドは僕の目を見据えてから、意図を察して苦笑を浮かべてひらひらと手を振る。
「急かしたことなんてないだろ」
「随分お疲れの様子でしたので」
 弱っているところを晒すのが苦手だという草食動物のような性質を持った上司にそう言いながら、ぬるいコーヒーを口に含む。じわじわとした甘さを味わっていると、ベルナルドは苦く笑って眼鏡をずらし、目頭を押さえた。
「俺だって機械じゃないんだから疲れたりもするさ」
 真意を濁した言葉を零すベルナルドに、目を細めて視線をやる。
 ぐいぐいと揉み解すように指を動かしながら、彼が深く吐いた溜め息には澱んだような疲れが滲んでいた。
「それは残念でしたね」
 カップを傾け、再び中身を味わいながら呟いた。本人の望み機械であったなら迷いはなかっただろう、と。
 ベルナルドは外道でありながら、外道である自分を嫌悪している。いや、そういった迷いを消せずにいることに罪悪感を抱いているのかもしれない。恐らく、彼が崇拝するカポとは正反対の意味で、ベルナルドはこの仕事に向いていないのだ。
「……ラグ」
 名前を呼ばれたのでもう一度正面に目をやると、どこか呆然とした表情とぶつかった。
「何ですか?」
 首を傾げると、は、とベルナルドが小さく息を漏らす。
「いいや。お前は俺の痛いところを平気で触れてくるなと思っただけだ」
 改めて眼鏡を外したベルナルドは、それをファイルの上に置いてまた瞼を擦る。
「――――本当にお疲れみたいですね」
 かたりと机にカップを置くと、小さく息を漏らして彼は大仰に肩を竦めてみせた。
「寝てない」
「いつから?」
「五十時間くらい前」
 二日と半日をさらりとベルナルドは数えて見せたので、失笑する。
「仕事が上がりなら、帰って寝たらどうですか」
「そうしたいのは山々なんだが」
 ふいに彼は自分の右手を上げて、袖をめくってその下の時計を眺めた。
「五時間後には会議だ」
 腕を下ろすのと同時に、ばたりとベルナルドは子供のようにそのままソファに横になった。
「それはそれは……。部屋に戻る時間は使いたくないってことですね」
「そういうことだ。しかも眠気が来ない」
 ベルナルドは普段より深くなった奥二重で、長く瞬く。そのまま天井を仰ぐようにふらついた視線が再び僕の顔を捉えると、くしゃりと彼は困ったように笑った。
「会議中に俺が居眠りするわけにもいかないし」
 本当に困ったとばかりに、ベルナルドが深々と溜め息を吐く。
 長い付き合いなので、それが彼の精一杯の他人に寄りかかろうとする仕草だと知っていた。
「……僕に寝物語をご所望ってことですか?」
「話し相手にくらい、なってくれてもいいだろ」
 片目を眇めて、ベルナルドは言う。そうしていると、まだ彼と出会ったばかりの頃を思い出す。まだベルナルドが組織でも年少の扱いを受けていた頃だ。
「あなたは、僕に見せるそういう部分をもっと外に出したほうがいいと思いますが」
 言い聞かせるようにしながらカップの中身を干すと、底に残った溶かしきれなかった砂糖がざらりと舌の上に滑る。
「これでも最年長幹部なんだ。出来るのなら、苦労しない」
 まだ最年少幹部だった頃にさえ、一切の妥協も甘えも外に出さなかった人間が何を言っているのだろう。
 呆れている間にスーツが皺になるのも気にせず、ベルナルドは身体をよじって仰向けになる。そのまま無防備に目を閉じるものだから、なんとも言い難くなってしまった。
「……僕に甘えてもいいことなんてないでしょう」
「そうでもないさ」
「そうですか」
 ちらりと横目でベルナルドは僕を見て、酷く楽しそうに口角を上げる。
「ラグにだけだな。お前に話すのは楽だ。気を使わなくてもいい」
 ただの年下の顔を覗かせて、彼はくしゃくしゃと自分の髪をかき混ぜる。
 なんだか随分と酷い物言いな気がしたが、それを口にすることが億劫で黙ることを彼は好んでいるのかもしれない。声にしなくても伝わることはきっと心地いい。その分面倒も多いけれど。
「――何の話でもしますかね。いい加減、あなたと話すこともないと思うんですが」
「女に対してその口聞いたら、一発で振られるな」
 ベルナルドの言葉に肩を竦め、新しくカップにコーヒーを注ぐ。そのまま柔らかな湯気が昇るのを眺める。
「女性とお付き合いしてるつもりはないんですが」
「お前にオンナ扱いされたら死にたくなりそうだ」
 冗談めかして彼は言ったけれど、あまり上手いものではなかったので口を噤む。
 死にたいくせにとは言わってやらない。もう何度もそう言ったけれど、過去に関係なく彼の性質なので諦めていた。
「はは……なんでもいいんだがな」
 ベルナルドが僕の無言をそう切って、歪みかけた空気を誤魔化す。
 僕もそれ以上つつく気にはなれなかったので、言葉を継いだ。
「いつも過去の話ばかりしますからね。たまには先の話でもしましょうか」
 ミルクを注がないまま指先で遊ぶようにカップを揺らして、ゆらゆらと波打つ中身を眺める。
「世の中は世界恐慌を引きずってお先真っ暗って風体だが――ウチは今追い風を受けてるからな。浮かれた話の一つや二つしたって許されるだろ」
 ジャンカルロのおかげだと言い出しそうなベルナルドの声を遮る。
「だったら、そろそろ長期休暇の一つでも取ったらどうですか、あなたも」
「んー……何度か取った覚えがあるんだが」
「書類持って帰っての休暇でしょう、あなたの場合は。受話器だって手放す気がない癖に。不安な気持ちは分かりますが」
 仕事から逃れられないワーカホリックに苦言を零して、カップから手を離す。
「どこか、州外に……いっそ国外なんかに旅行とか行ってみたらどうですかね。普段は本部に引きこもってるんですし」
 滅多に外に出ない、出ても夜を歩くしかない、ダイムノベルのフリークスのような彼に僅かな嫌味を込めて言う。
「最近はジャンがあちこちに顔つなぎをしてくれたおかげで、出張も多いが」
「仕事から離れられられないんですか、あなたは」
 ジャンカルロさんの惚気話(としか思えない)と仕事の話(こっちも彼にとっては恋人なのかもしれないが)に結局帰ってきてしまう問答に心底呆れると、ベルナルドは反省をしてるんだかしてないんだが、フハハと声を上げて笑う。
「そうですね。仕事を忘れられるようなところに、温泉にでも行くとか」
「スパなら、ルキーノの仕切りのがデイバンにもあるが」
 仕切り直して話を続けようとするのに、まるで聞いていないようなセリフを吐かれる。休む気があるのかないのか、とにかく。
「デイバンに居たら意味がないでしょう。――ジャポンでしたっけ。あっちじゃトージなんていうらしいですが、療養とか休養の代名詞みたいですよ。バーデン=バーデンも元々そういう場所でしたっけねえ」
 聞きかじりの知識を思い出しながら言うと、ようやく興味がわいたのか――ベルナルドが考え込むように指先で自分の顎をなぞる。
「そういうのだったら、肩書きがなければホットスプリングスでもいいんだがな」
 シカゴの息が掛かっている温泉地の名前を挙げて、けれど流石に無理だなとベルナルドは切って捨てる。
「シカゴの方々とご一緒になったら、休まるものも休まらん」
 言葉とは裏腹にどこか楽しそうに、ベルナルドは天井のライトに手をかざして目を細める。
「ベルナルドだったらそう顔を知られてるわけでもないですけど……あー、でもあなたは仕事のこと考えちゃいそうですね」
「だろう?」
 明確にはしゃぐような声に、今度こそはっきりとした苛立ちを覚えた。
「寝る気あるんですか、あなたは」
 もう視線もくれないまま、ベルナルドは擦れた声で笑う。
「流石にこの顔色でカポの前に顔を出すわけには行かないだろ?」
 確かに、酷い隈も煙草の吸いすぎらしい僅かにしわがれた声も、あの優しいカポは見逃してはくれないだろう。
「……それこそ、強制的に休暇になりそうですね」
 ふう、と床に息を吐いて、ソファから立ち上がった。
「帰るか?」
「いいえ」
 身体を起こそうとするベルナルドに、手でそのままでいいと告げて側に寄る。
「……? 何、」
 不安げにした彼ににっこりと微笑んで、頭のすぐ横に腰を下ろした。
「多少体温があったほうが、眠れるかと」
 ぽんぽんと膝を叩くと、ベルナルドは僕の手と顔を見比べてから、くつくつと喉を鳴らして笑う。
 そのまま彼はしぶしぶといった感じで僕の膝の上に頭を乗せた。
「硬い」
「でしょうね」
 当然の文句に、普段よりぺったりとした髪を撫でると、その違和感しかない構図に不思議と口元に笑みが浮かぶ。
「目くらい閉じたらどうですか」
 瞼の上を掠めるように撫でると、手の甲にそっと左手を重ねられた。
「余計に寝れなさそうなんだが」
 マンマ、と唇だけで彼は言って、くすくすと笑ってみせる。
「人の好意を……」
「からかわれてる気分だ」
 どっちが、と言葉にするよりも早く、無言のうちにベルナルドは笑みを深めた。伝わってしまったことをわざわざ言葉にする必要もないだろうと黙り込んだ。
「――……でも、温泉はいいかもな」
 ぼそりと唐突にベルナルドが呟く。途方もない遠い場所の出来事のような、手を伸ばすことさえも諦めたような声に、どうしたって触れ合えない傷を見つけて彼の視界を塞ぐように掌で顔を覆った。
 瞼の下以外には、このちっぽけな闇しか許容できないことを彼は誰にも晒さないまま生きている。
「……僕も仕事抜きでなら行きたいですね」
 不自然な間を持ってそう言ったけれど、ベルナルドは気に留めなかったらしく、手を胸のところで組んでされるがままになった。
「意外だな」
「そうですか?」
 似た体温では触れている感覚すら曖昧なんじゃないかと思いながら、柔らかく目元を解きほぐすように指を動かすとふ、とぬるい吐息が漏れた。
「もっと出不精かと……」
 眠気の染みた声音と共に、ベルナルドの胸の上の指が睡魔を手招くようにぴくりと跳ねた。
「ベルナルドの代わりに、誰が外を出歩く仕事をしてると思ってるんですか?」
 再び髪を撫ではじめると、自分と同じ分だけ伸びた髪に過ぎた時間を思う。少しも変わらない距離感が心地いいような煩わしいような――きっとその両方だろう感情を抱いて、それはお互いにそうなのだろう。
「あなたは休暇を家に引きこもって過ごすタイプですよね」
「お前もそういう性質かと思ってた」
「そうでもないですよ。外に出るのは好きですよ。のんびりしたところとか」
「だからあんな辺鄙なところに農園構えてるのか」
「いえ、それは仕事に都合がいいので」
「はは……、どうにも結局仕事の話に戻ってくるな」
「――今のは僕の所為ですね」
 そこで一旦会話が途切れた。なんだか自分の農園で子豚を撫でている気分になったけれど、寝付けない子供を寝かしつける行為なのだから大差はないだろうと一人で納得する。
「……俺は十六で家を出るまで、生まれた土地を離れたことすらなかったな」
 暫しの緩い沈黙の後にふと、ベルナルドが口を開いた。彼自身の口から、軍に入る以前の話を聞くのは初めてたっだ。
「僕は結構あちこち転々としてますからねえ。生まれは向こうですし」
 過去を懐かしむように言うと、彼の目を覆っている手が指でトントンとノックされる。それで手をそっと外すと、ベルナルドは眩しそうに目を細めながら僕の顔に手を伸ばした。
 サングラスを避けて、目元の見えない傷を拭うように細く硬い指先が淡い温もりをもって通り過ぎる。つられるようにふにゃりと笑った。
「意外とまだお互い知らないことも多いですね」
 必要以上に触れ合わなければ、それも当然なのだろうけれど。
 お互い一歩の距離で、時折手を伸ばされれば受け入れるだけのぬるま湯の関係に慣れすぎている。それを悪いとは言わないし、きっとこれからも変わることはないけれど。
「ベルナルドの生まれたところは、どんなところでしたか?」
 本当に数年ぶりに、一度も聞いてみたことのないことを問いかける。
「何にもなくて、イタリア系は虐げられてた――――けど、そうだな」
 真っ直ぐと僕を見ていた色素の薄そうな瞳が、ゆらりと瞬かれた。
「嫌いじゃないんですね」
 ん、とベルナルドは微かに頷いて、目を閉じた。
「どうしてだろうな。憎んだりはできないのは」
 穏やかな声に、さっきまでの感傷はない。
「僕が生まれた村もなーんにもなくてつまらないものでしたけど、まあ老後には帰りたいかなあと考える程度には愛着がありますね」
 自然に口をついた言葉に、ベルナルドは短く「そうか」とだけ答えた。
 僕もベルナルドも憎み足りないほど、世界を恨んではいる。失われたものは決して取り戻せない。それでも、まだ色を失ったこの世界にも何か残されているんじゃないかと足掻いている。
 そのどうしようもない渇望を共有できるのは、どういう因果か彼にとっては僕だけで、僕にとっては彼だけなのだ。
「……ホームシックになった。どうしてくれる」
 明らかな嘘と共に触れていた手が、僕の前髪をかきあげるように耳元まで動いた。ぱさりとフードが肩に落ちて、中に隠していた髪がこぼれる。
「ベルナルド」
 名前だけ呼んで、そっと瞼の上に口づけた。
 自分の髪の毛がベルナルドの頬にかかる。くすぐったそうに身を捩った彼は僕のサングラスに手をかけて、奪い取ってしまう。
「お前には嘘を吐けないな」
 ただ欠けた場所と年甲斐もない寂しさを一時見ない振りをするために求めてくる掌が、いつもより愛しいように思った。
「あなたは嘘が下手ですからね」
 そう言ったらベルナルドはおかしそうに声を漏らし、僕のコートのポケットに畳んだサングラスを押し込んだ。
「俺にそう言うのはお前くらいなもんだ」
 同じ体温をした両手が、包み込むように頬に触れてくる。
「お前の目の色は好きだよ。猫か鷹みたいで――俺の天使と同じ色」
 口説き文句としては最悪の言葉だったけれど、至近距離にしてようやくはっきりと見えた表情は優しかった。ベルナルドにとっての『天使』が、どれほど彼の命そのものかも分かっていたので、どちらかと言えば恐れ多い気すらした。
「ラグ、」
 促されるまま、唇を重ねた。
「――、ん……」
 ちゅ、と軽く唇を吸い、薄く目を開けると震えている瞼が見えた。
 影の中で、自分とベルナルドの髪が混ざり合っている。
「同じ色……」
 くすりと笑うと、ベルナルドが怪訝にこちらを見た。その隙に唇を割って、舌を差し入れる。歯列を舐めるとゆるく開かれた咥内で、舌を絡めあう。
「っ……ぅ、…ふ」
 控え目に漏れた吐息ごと、くちゅりと唾液を吸って唇を浮かすと、もっととばかりに背中を手を回された。
 どうして彼は、彼の求める天使にこの手を伸ばさなかったのだろうか。
 諦めることに慣れさせてしまったのは自分ではないかと、微かな不安が胸を刺す。
「変な顔だ、ラグ。……余計なことを考えてるだろ」
「あなたに言われたくないですよ」
 そう返すと、さっき自分がしたように瞼の上に口付けを返される。濡れたが離れ、そこが瞬く間に冷える感触に視界が揺らぐ。
「……だろうな。俺と同じにはなりたくないだろう?」
 それはいつか、僕が彼に言ったセリフだった気がして、息が止まった。
 ベルナルドが酷く苦く笑ったものだから、やはりそうだったのだと思う。
「脱がすのは下だけでいいから、ラグの手で」
 タトゥの刻まれた左手で手首を掴まれる。そのまま腰に導かれたので、失笑と共に一度片手で彼の頭を抱き締めて身体をずらした。
「だったらそう命令すればいいでしょう。今はあなたが、僕の上司なんですから」
 広くはないソファに横たわったままの彼の上にのしかかると、ベルナルドはコートの上から僕の胸を撫でた。
「そうじゃない。昔みたいに――」
 その手がコートの前を開き、ぱくりと開いたその中にベルナルドが手を伸ばす。
「許して欲しいんだ、ラグ」
 許しを請うかたわらにあるはずの罪には触れず、ただベルナルドは縋るように薄い布越しの胸や腰に好き勝手触れる。
「許される気もないのに、何を言ってるんですか」
 今、彼が得たいのは、自分が与えられるのは……そんな言葉に飾り立てたところで、同情でしかない。
 ベルナルドのベルトの金具を指で弾いて、片足を上げさせる。
「本当に許されたいのなら、あなたはあの天使に――、」
 言いかけた言葉は唇に塞がれた。どうしようもない。それで私は、いつものように諦めた。
 それ以上はどうしようもない。どうにもできない。どうにかしたいわけでもない――――。痛みにも似た、名前をつける気にもなれない感情があるだけだ。
 溶かしあうようなキスをしながら、ベルナルドのスラックスごと下着を引き下ろす。
「キスだけで興奮したんですか?」
 手の甲に半ば勃ちあがったペニスが触れて、キスの合間に短く笑う。
「ん……いや、お前のコートを脱がすので興奮した」
 彼はぺろりと唇を舐めて見せた。きっと赤く熟れているだろうそこに指を差し入れると、一瞬の間で指先を甘く食まれる。
「――――ン、……ふぅ…ァ」
 しばらくベルナルドの好きにさせておいて、唾液をたっぷり絡めてから指を抜く。
「外の彼は……いいんですか?」
 今更なことを言うと、ちらりとベルナルドはドアの方を一瞥したけれど、そのまま私の身体を抱き寄せる。
「防音は効いてるし、緊急事態でもノックくらいはしてくるだろ」
 コートの下の薄着に這う指先に体温を感じるよりも同じ暗がりに溶けてしまうような感覚があった。
「よく躾が効いてますね」
 彼の足の隙間にべったりと濡れた指を捻じ込み、入り口を嬲ると、ベルナルドがぶるりと身震いをする。
「俺のは……、な……カポにも、近いし」
 指を一本、二本と増やしながら硬く閉じた場所を解す。指先がぬるりと前立腺の辺りを掠めるたびに、ベルナルドが掴んでいる手がびくりとわなないた。
「少しは自分のために生きたらどうですか」
 ベルナルドの目元に浮いた涙を舌ですくいながら、そうと分かっていて無意味なことを口にする。
「鏡にでも、言え……」
「――だから、言ってるでしょう」
 私の言葉に、子供のような懐かしい顔があった。ふ、と息を漏らして微かに笑うと、その表情はすぐ元の大人の面に戻った。
「ひどいな」
 ふわふわと笑う声に答えて指を引き抜き、スラックスと下着の絡まったままの片足の太股から膝裏を撫で上げる。
「全部分かって触れてきてるのは、どこの誰なんでしょうね」
「……、……っ」
 ベルナルドが息を飲んだタイミングで、濡れた場所にペニスを押し付けた。
 ほぐれた場所は、軽く体重を掛けると、くぷりと中に私自身を受け入れようとする。
「ラグ……、ッぁ…あ、あ――、っく」
 受け入れる側はいつまで経っても慣れる様子がないベルナルドの呼吸が楽になるように、少しずつ腰を押し付けながら何度も顔中に口付ける。
「っぅ、あ……、ラグ…――ゆるして、」
 擦れる息でベルナルドはまた同じ言葉を呟いた。
「同情でも……いい、お前の言葉じゃないと…いみが、――」
 足元に落ちる影を恐れ、太陽に手を伸ばせないベルナルドが、誰よりも許されがたく、嫌悪しているのは――。
「……ベル、ナルド。許してあげますよ。私が……何度でも」
 縋る左手を半ば乱暴に掴んで、刻まれたタトゥに舌を這わせた。
「ア――、っぅ、…ら、ぐ……」
 その場所を甘噛みし、歯形を舌で追うだけで、ベルナルドは目に涙を溜めて腰を震わせる。
「や…、ぅ……ふ――」
 振りほどくように首に手を回されまたキスを強請られて、唇を合わせた。
「――ン…、ぁ、あ…、っ……」
 角度を変えながら深く貪り、そのまま腰を揺すると、繋がった場所からにちゅにちゅと卑猥な音が溢れる。
「いっていいですよ……ここ、汚れないように手で受け止めてあげますから」
 お互いの腹の間で熱を持ったベルナルドのペニスの先を握りこむと、彼はびくりと首に回していた手を強張らせてから、私の腕の中でこくりと頷いた。
「っぃ――、あ……ぅ」
 そのまま、ひくひくと震えながらベルナルドは私の手の中に吐精する。
 聞こえるギリギリの声で彼が誰かに謝った言葉は、聞かない振りをした。


*


 綺麗に始末を終えて、代わりにジャケットだけ脱がせた状態で、また文句を言いながらもベルナルドは大人しく僕の膝枕に頭を乗せている。
 ようやく、うつらうつらとし始めている彼の髪を撫でながら、何となくさっきの話の続きを口にした。
「ベルナルドが引退したら、一緒に旅行でも行きますか。私の故郷にでも」
 記憶の中で色鮮やかな光景を思い出すと、自然と泣きたい気持ちになった。
「……老後の約束しかしてくれないのか」
 目を閉じたままベルナルドは言ったので、表情は見られずに済んだ。
「そうでもないと、あなたは頷いてくれないでしょう」
 生きている保証もない未来にしか、きっとお互いにワガママを出せない気がしていた。だから、そう言っただけな気がする。
「頷いて欲しいのか」
 ベルナルドの声は柔らかで優しかった。目を閉じて、キスの代わりに彼の額を撫でる。
「さあ」
 答えをわざとらしく濁すと、ベルナルドは今にも眠りに落ちそうな声で笑って「しねばいいのに」と囁いた。