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Devil's Trill sonata

 この男と居ると、自分の無力さをどうしようもなく自覚する瞬間がある。
 自分の力量で大概の事はやり遂げる自信も実力もあったので、万能感とまでは言わないが、それに近い自負を持って生きてきた。――それが、幻か何かだったんじゃないかと、夢の中に漂っているような感覚を覚えるのだ。
 眠り掛けていた思考が夢現に足掻くように、手探りのまま俺に背を向けてベッドに腰を掛けている男……ベルナルドの腰辺りに指を触れさせた。
 触れた体温に頭は覚醒したものの、ベルナルドは煙草を気怠そうに咥えたまま、こちらを見ようともしない。
「……俺にも」
 言うと、ようやく振り返った目は不機嫌に俺を一瞥すると、紙煙草のケースが投げられた。
 呆れるほど、可愛げは一つだってない。たった四つとはいえ年上の男相手だと自覚すれば、それも当然なのだが。
 それでも、ちらと乱れた髪の隙間から覗く横顔は、普段の眼鏡には縁取られていない分、冷酷に見える瞳が目を惹く。
 そのグリーンを細めて、ベルナルドは甘い香りのする紫煙を吐き出す。
「火」
 もう一度言葉でつつけば、今度は視線もなくライターが投げられた。予想はしていたのでこともなくキャッチして、自分の煙草に火を点ける。
「…………あんた、可愛くねーよな」
「可愛いのに癒されたいなら、オンナと寝ろよ」
 返ってきたもっともな言葉に、「そりゃそうだ」と自嘲した。
 柔らかな女とは違う、痩せすぎに見えるベルナルドの肩で、プールブロンドの髪が揺れている。
 さっきまで指を埋めていた感触を思い出して、それから耳に喘ぎ声と涙目になったキャンディのような瞳が蘇る。が、どうも今横に居る男とは一致しない。
 ふぅと吐き出した煙がゆらりと天井の薄闇に吸い込まれるのをみて、タルティーニが魅せられた悪魔に存在が近いんじゃないだろうかなどとも考えてみる。
 確かに此処にはあるけれど、はっきりと手元には残らない。
 ただ、正しく現にあるものより、焼き付くような強さで刻まれるような。
 まだ長く残った煙草を灰皿で押し潰したベルナルドが、ベッドサイドのテーブルに置きっぱなしだった眼鏡を掛け直して、やっぱり同じ様に置いてあった腕時計を右手に巻き直し始める。
「俺は仕事に戻るからな」
「はあ……?」
 ベルナルドが手首に巻いた時計の文字盤がちらりと視界に入った。午前一時をとうに越えている。当然だ。目の下に隈作っていたこいつを執務室から抱えて、この仮眠室に押し込んだ時に既に時刻線は越えていた。
「あんた、なんで此処に連れて来られたのか、分かってねえのか」
「お前の性欲処理だろ」
 鼻で嗤うように彼は言ったけれど、それが本心でなく当てつけだと察していたので腕を引く。
 身長は自分とそう変わらない癖に、折れそうな細い手首に舌打ちをする。
「あんた、なんでそうドマゾなんだ? そこまで人生に卑屈にならなくてもいいだろう」
 自分のことは棚上げにそう言えば、ベルナルドはキツイ視線を向けてくる。
「ジョックの言い分だな。離せ」
 ちっともこちらを理解しない言葉に、苛立つ。
「まるで自分が負け組みたいな言い方すんな」
 明らかな不快感を面に出して、振り払おうとした言葉も手首も離してやらない。
「あんたは金輪際、カポの命令以外は聞かないとか言い出す気か」
「――――何、を」
 こちらに顔を向けないベルナルドの声が、ふらりと揺れた。
「……顧問、オルトラーニ。あんたはもうちょっと頭が良かったと記憶してるんだが?」
 二人きりの時は滅多に口にしない名前で呼んで、冷え切った手首に込める力を強める。
「幹部殿、何の戯れだ。確かに俺はもう幹部を退いて、特権があるとは言え、お前の命令を一人で拒絶するほどの権限はない。だからって、こんな辱めを受ける謂われもない」
 らしくなく、その語尾が消え入りそうになっていた。
 手首を引いて、一時間ほど前に此処に連れてきたときと同じ様にベッドの上に引き倒す。
「はっきり言わないと、まだ諦めきれないのか。聞かずに、言わずに、抱いてやったのに」
 ベルナルドは力なく頭を振って、左手で自分の目元を隠している。
 タトゥに巻かれたままの白い包帯に、僅かに赤い色が滲んでいる。
 掴んだままの手首の下で、カチカチと秒針の鼓動がした。
「なあ、しばらくは親父の復権で保つ事くらい、分かってるだろ。組織はそういうもんだ。あんたが無茶しなくても――、あいつが…………」
「――っ、ぁ……、やめ……ろ、」
 色を無くした唇から、掠れた悲鳴が漏れた。
「やめてくれ……、ちがう…………頼む、から……」
「倒れるまで仕事してれば忘れていられるからってか。あんたにまでいなくなられたら、ウチにとっちゃ、それこそ取り返しのつかないダメージなんだよ。簡単に死ねると思うなよ。そういう道を選んだのはお前自身だろうが」
 言いながら、本当は彼が理不尽にこの場所に居ることはこの数年で知るところになっていたので、そのまま言葉は突き刺さった。俺もこいつも外道であるには違いないが、それでも大切なものはある。
 それを傷付け、踏みつけてまで守るものなんて、本当は糞食らえだと思う。思う、が――他の生き方が俺たちには許されない。
 自分が咥えたままだった煙草から、燃え尽きた先がぽろりと剥がれ落ちてベルナルドのシャツを肩に羽織っただけの裸の胸に落ちる。
 火の粉の混じらなかった灰だけのそれは、黄疸の混じり始めた痛々しい痣の上で音もなく砕けて粉々になった。
「…………知ってる癖に。それとも、知ってるからか。こんな――、」
 最後の矜持かそこまで言って求める名前は口にせず、涙もなく無言に泣くベルナルドがただただ憐れになって、髪を撫でる。
「忘れていたいなら、せめてこっちにしとけ。虐められたいなら俺がしてやる」
 同情で彼が慰められるほど簡単なことでもないことは分かっていたので、やはり俺もその名前は口にしなかった。
 目を塞いだままベルナルドは掠れた息で嗤って、震える声のまま言う。
「俺をファミーリアだと思って憐れんでくれるなら、殺してくれ。……他の誰にも頼めない」
「…………ファミーリアを殺した裏切り者として、俺も制裁を受けることになるが?」
「……――あいつとは、同じところに行けない。でも、お前とは同じ地獄に堕ちる気が、する」
 鼓膜を震わせた声に、瞬間的に俺の心は満たされ、そのまま朽ちて果てた。
 それは今までベルナルドが口にした、どんな睦言より正しく愛の言葉だった。
 常に最後の一線を越えてこなかった彼の、血を吐くような言葉。
 目を閉じ、胸中で逝ってしまった男を呪い、目を開いた。俺の迷いも、目の前の男の罪悪感も、己も誰も救いはしない。
「今だけで良いから忘れて寝ろ。どうせ明日もその前髪と胃を虐められるんだ。……あいつの事は、忘れてる暇もないだろ。そうでなくても、あんたは一生忘れられないんだろうけどな」
 そろりと動いた細い身体から、今にも千切れそうな嘲笑が漏れた。
「は……はは、嘘でも、殺してくれると言ってくれると、思った」
 それでも子供の様に片手できゅっと胸元を掴んだ手に、本当に殺してやりたくなる。
「殺さない。ベルナルド、あんたはそんな可愛い事言っても、きっとあいつの所に行ってしまう。やっと俺のになったのに、わざわざリボン掛けて恋敵に送り返すほど俺はお人好しじゃねえよ。そんな事、許さない」
 本音を吐いて、既に半分死んでしまったのと同じになったベルナルドの手を奪う。
 やはり涙もない目元をそれでも拭う様に舐めて、髪を撫でると怯えるように瞼は伏せられた。
「……いい子で眠ったら、前の飼い主の首輪を大事にする事くらい、許してやるよ」
 酷く優しく零れた声に、ベルナルドは諦めたように笑って、「外道め」と漏らした。