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遠い未来の話をしよう

 きっと今、境界線に立っている。
 銃口を向けた相手は、いつものように「コーヒーでもどうだ」と言いださんばかりに、薄い笑みを顔に貼り付けている。
「俺は、俺に失われたその未来にさえ、永劫にお前たちを憎むよ」
 歌うようなそのイタリア語を聞いていたジュリオは、俺の耳にも届くほど歯噛みし、滅多に吐かない汚らしい言葉を小さく口にする。
 境界線にいる俺は、どちらの言葉にも何も言わず、言えず、ただ沈黙を守った。
 トリガーに掛けた指先が氷のように思えた。
 それでも幸運の女神をはべらせた金髪の誰かさんが、俺に引き金を引かせた。
 銃声は一発きり。
 9mmに額を撃ち抜かれた男の後頭部は見事に砕けて、俺の役割は半分が終わり。
「――死体は表のドラム缶で焼け。見せしめだ」
 血の池に脳みそをぶちまけている男を確認していた部下にそう命令して、今度こそ俺の役目は終わった。
 引きずられていく死体を眺めながら、あの時着ていた白いドレスの末路をどうしてだか今更思い出して、死にたくなった。
 俺はもう生涯、彼の名前を口にすることはないのだ。
*

 アジアでは人が死ぬと焼いて灰にしてしまうらしい、といつだかジャンがどこぞで仕入れてきた世間話を会議の終わりのしだして、また風邪か? 熱でもあるのか? なんて馬鹿話をしたことを思い出した。
 俺たちはコーサノストラでヤクザだったので、死体の処理の一つとして使ったことのない手段ではなかったが、身体を無に帰することにはそれなりの抵抗があった。
 それを当たり前に行う国があるのは些か奇妙な、言葉は悪いが野蛮さを感じた。
 特にルキーノなんかは、その違和感だとか気味の悪さ、嫌悪感を隠しもせずに吐き捨てていたし、その辺のついてはイヴァンも同意見だったらしくて難しい顔をして黙っていた。(あの二人は意見が一致するのがお互い不快らしくて、どちらかがよくそういう顔をしていた。まあそれはまた別の話だが)
 ジャンはそれで話題は引っ込め、新しくオープンするカジノの話に切り替えて、あとは普段通り。
 いつだって、ジャンはそういう空気に聡かった。
 グダグダした談話が一通り済み、普段の流れでメシでも食いにいこうとなって、皆がソファから立ち上がる。まとめた書類を外に控えていた部下に手渡し、彼が同じ階の執務室に向かった所で、ちょんとスーツの袖を引かれた。
「エレベーターは満員だって、おじちゃん。カポと一緒に待たなきゃみたいヨ」
 言われてエレベーターホールに視線を向ければ、プシュンと音を立ててドアは閉まる所で、俺はジャンの顔を見てからため息をついた。
「ボスと筆頭幹部を差し置くなんて、なんて無礼な奴らなんだい?」
「減棒処分にしちゃいましょう、ダーリン?」
 ジャンは久しぶりに俺をそう呼んで、俺は心臓が跳ねたのを気づかれないように薄く笑う。
「ふふ、そうだな。しかし、ジュリオにまで置いてかれるなんて、珍しいね」
「ああ、役員会から言伝だとかで、連絡室寄ってくるんだとよ。尻尾と耳がペタン、てなってたのが見えたぜ、あいつ」
 愉快そうにしているジャンに取り出したシガレットケースを差し出しと、彼は小遣いを貰ったガキみたいに笑みを深め、いそいそと中身を取り出して口にくわえた。呆れつつも、ロンソンのライターで火をともしてやる。
 旨そうに煙を肺に入れているジャンを見ながら、俺もまた同じ煙草の火をつける。普段は護衛がたむろしているエレベーターホールの灰皿の側にパタパタとジャンがかけていったので、そのまま歩いて背を追う。
 ちっとも変わらない。
 玉座に継いてなお、彼は彼であるし、むしろ光は増したような気がしたが。
 お前が選んだ相手は正しかったってことかな、などとその背中に無言で問いかければ、振り返った金色の目と視線があった。
「さっきの話」
 にぃっと勝負を仕掛ける時と同じ顔で、ジャンは笑う。
「あんたは、割と興味深そうにしてたな」
「……そうかな」
「違うのけ?」
 イタズラの誘いをかける子供のような顔でそう言われれば、答えるしかない。元々、ジャン相手に抵抗など、俺には出来ない。
「嫌悪感はある、さ。俺はラグじゃないしね。――ジュリオはモッタイナイって顔してたな」
「あー、してたネ。って、人の話じゃなくて……――あるけど、何よ?」
 じいっと興味深そうにしているジャンに対して、小声で投げ掛けた。
「魂の復活って、あると思うかい?」
「……正直」
 肩を竦めて言葉を濁したジャンに俺はふっと息を漏らした。
「省スペースでいいのかもね、と思ったかな」
「アラヤダ、バチ当たり」
 そう言いながらも同じ顔で笑うジャンに安心して、続ける。近くに部下もいない。
「土地を湯水に出来るのなんて、アンクル・サム以外はチンクくらいなもんだろ?」
「ルースキーは?」
「凍土に墓をこさえるのは骨が折れるだろうねえ」
「なるほどなー。……まあ、あいつらの前では言えねえな」
 酷く罪深い会話を重ねている間に、一階にあったエレベーターが上階に移動し出したことが表示されて、ジャンは煙草の火を消そうとし、手を止めた。ん? とジャンの目を見つめ返すと、彼は首を傾げ、ふらりとブロンドが揺れた。
「煙、がな」
 数分の時間の分、短くなった煙草を差し出し俺に見せる。
「人を焼く煙が、天に上る梯子、なんだってよ」
 ジャンが今も胸に下げている金のリングが、チリンと音をたてて俺の耳に届いた気がした。
「……ジャン」
 俺の主の指先から細く登る、頼りない糸のような縁は、ふ、と彼自身が息を吹き掛けて断ち切って見せた。灰皿にその赤い火を押し付けてジャンは、ボスの、暴君の顔で口角を上げて見せた。
「頼みがあるんだ、ベルナルド」
 一歩を歩み寄り、昔と同じ距離でジャンは俺の髪に触れた。
 ジャンを抱く男の残り香が、した。それは妄想だか錯覚だったかもしれないが。
「命令かい? それは」
 くわえていた煙草をジャンの口に移すと、唇に触れさせた手が掴まれる。
「いいや。俺からのお願いだ。あんたの善意が欲しい」
 長らく触れなくなっていた壁に、ジャンは優しさからではなく触れてきた。
 その理由は痛いほど分かっている。少し前から、うちの旗色が怪しくなってきた頃から、距離をずっと計っていたのを知っていた。
 フロアに到着したエレベーターの扉が開く。触れたままだった指先で煙草を摘み上げ、灰皿に投げ捨てた。
「イエス、マイタイラント」
 差し出した手をジャンは無言で取り、それでもう俺は満足だった。
 本当に欲しかった席を諦めたのは俺自身で、そんなどうしようもなく臆病な俺を、最期の舞踏の相手に選んでくれた。
 俺のこのやり場を失った感情を、ジャンは愛する人間を守るために利用しようとしている――それが、その歪みが、途方もなく愛しかった。

*
 雨が降っていた。
 夏の日に焼かれたアスファルトよりも明るい色の空から、霧のように細かい雨が。
 アパートの一室の前、役たたずの傘が遮ってくれなかった滴を肩から払い、ドアをノックした。
 返事はなかったが、ノブを回すと鍵はかかっていなかった。
 昔とまるで同じだな、と思ったが、ドアを開き一歩踏み込むと渇いた布の匂いしかしなくて安堵した。流石に、あの時とまるで同じという訳でもなかったらしい。
 わざと足音を立てて部屋に入り、リビングに踏み込むとソファとカーペットしか置かれていない部屋で、目的の相手が寝ていた。
「――既にフォルトゥナは去り、機械仕掛けの神もいない」
 自嘲か、或いはソファで横になっている男に対して言ったのか、自分にもよく分からなかった。
 ジャンがいつも首に下げていた運命の車輪は、眠っているフリをしている男の手の中にある。それが回されることは、二度とない。
「ルキーノ」
 名前を呼んでも、男は拗ねた子供のように返事をしない。
 仕方がなく、今は括られていない柔らかな髪に触れる。
「ジャンは何度こうやってお前に触れた?」
 眠り姫が目覚めるように持ち上げられた瞼から、沈んだ色の赤が覗く。
「――何度この唇で愛を囁いた」
 唇に触れても、その目には火は灯らない。相変わらず、世話の焼ける。
「ジャンにキスをしたのも――」
「……今さら仕返しか」
 顔を近づけてようやく、力ない手に払われた。鼻で笑ってやると、渋々と言った風にルキーノは身体を起こした。
「仕事、か?」
 酒も薬の気配もない男からは、ただ焦燥感だけが漂っていて痛々しくなる。
 失っても、既で壊れずに彼がここにいるのは、きっとジャンがいたからだろう。だからこそ、ここから動けないのも。元々彼の中にある運命が空回りをしている。
「仕事じゃないな。頼みだ」
「……何を言い出すんだ、筆頭幹部」
 不信感を露にすると、声音だけは普段と変わらなくなった。
 ジャンの言う通り、彼はもう大丈夫なのだ。
 ああ――眩しすぎる。
 希望の火は彼でなければなかったのに。託される側であって、託す側ではなかったはずだ。それをこうしてまで、とまた彼が死ぬ前から堂々巡りをしている思考の海に落ちそうになって踏み留まった。
「俺はもう筆頭幹部じゃないよ。三時間ほど前から、それは君の肩書きだ」
 畳んでポケットにねじ込んで置いた、役員の連名が記された書類を彼の膝の上に投げる。
 俺の顔と紙切れを交互に見てから、ルキーノは紙を開く。
「現状、俺の権限は役員の後ろ盾付きで、カポに相当する」
 ふ、とルキーノの目に炎が揺れるのを見た。
 薬とアルコールで溶けたお哀れな脳みそが作り出した復讐相手を、現実のものと探していたあの頃に似た――。
 しかし怒りに任せる訳でもなく、男は紙を突き返してくる。
「何人かの名前が足りんぞ。こんな、言い訳にしかならねえようなもの、どうする気だ」
 口元に笑みが浮かんだ。ジャンの願いは叶えられる。間違いなく。
「……お前は、ジュリオと一緒にイヴァンに付け。俺は二代目の残した責任と古い体制の責任をおっかぶせられて、お前に弾かれるって筋書きだ」
 言いながらルキーノの隣に座ると、俺の穏やかでない言葉にルキーノは今にも掴みかかってくるんじゃないのかという顔で睨みつけたが、無言のまま視線だけでさきを促してきた。
「CR:5のコーサ・ノストラとしての歴史を解体できるのは、新しい血の……イヴァンだけだろ」
「……そういうことじゃねえ。ちょっと待て」
「このまま、この時代に今の体制の組織を存続させたとして、俺たちに生き残る術があると思うか?」
 疲弊したコーサ・ノストラに未来はあるのか。きっと、ストリートのガキだってその命運には感づき始めている。
「どうしてそう、あんたは物事を全部引っ被ろうとするんだ」
 ガリガリと髪を掻き毟りながら文句を連ねようとしたルキーノを遮った。
「俺の作戦だったら、お前にこんなことを話したりしないさ。お前は意地になれば絶対イエスとは言わないし、例え了承しても肝心な時に顔に出るからな」
 あの日、エレベーターホールでジャンと分けあったのを思い出しながら、煙草に火をつけた。
「俺の命運も内容を話すことを含めて、お前の恋人の願いだ」
 あの日、エレベーターの中で話されたジャンのお願いは、彼自身の死と同時にスタートする無駄に出来のいい脚本だった。俺の死に様までしっかり決められたシナリオは、CR:5を守るというより、ルキーノの命と、家のためだけにあった。俺の命はいっそ清々しいほどの、捨石扱いだ。
「あの誰の処刑にもどこかで躊躇していた男が、君の命と未来を守るためには十年来の友人で、職場では仮にも右腕だった男の感情と命すらチップに換金したんだ。――まったく、妬ましいね」
 言葉を無くしたルキーノが、自分の髪を掴んでいた手を下ろして顔を上げる。
「一言でも謝ってみろ。話はここで終りで、今この場でお前の頭を撃ち抜いてやる」
 手で銃の形を作って額に押し付けて笑ってやったが、ルキーノの顔は笑っていなかった。まあ、愉快なのは今俺だけだろうなと思い直して、手を下ろす。
「ジャンは酷い男だ。お前に死に方さえ選ばせない、傲慢な愛を押し付けてる。だから、沈黙を選ぶかどうかは、結局俺からの頼み事でしかない」
 ルキーノはそのまま深く座り直し、ソファはギシと悲鳴を揚げた。
「断れないのを、分かっていて言ってないか」
 顔を掌で覆ったルキーノの言葉に苦笑して、ゆらゆらと揺れて登る煙草の煙を眺める。
「まあ、今更お前が断ったところで、俺の死体の横にお前も転がるってだけだからな」
 それはそれで、愉快だがと言ったところでようやく睨まれた。
 ジャンにしていたように、苦笑のまま髪を撫でてやると、ルキーノは俺の行動に面食らったように動かなくなった。
「ジャンは正しい。決まっていることを見届ける仕事は、間違いなく俺の領分だ」
 ブロンドに近いそのピンク色の髪を一房指ですくって、しみじみと口にする。
「どんな犠牲を支払っても、その人間の髪の毛一筋まで自分のものにしようなんて、俺かジュリオの思想かと思ってたよ」
 その言葉にルキーノははっきりと困惑の表情を見せた。
「あんたの中ではもう、あいつの死は終わったことなのか」
 思いがけない言葉に、だからジャンはルキーノを選んだのかもしれないと何となく思った。この往生際の悪さは、或いは美徳にも見えた。
 ふ、と息を漏らして笑うと、ソファに押し倒して彼の耳に「まさか」と吹き込んだ。
「ジャンと共に死ねる幸福をお前から奪えたのは、思いがけない僥倖だ」
 きっとあのエレベーターホールで俺が見た、蜘蛛の糸をこの男は一人で見るのだろう。
 それもまた、俺の楽しみの一つなのだと、俺は笑いかけてやった。