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最後の審判で

※約使さんにいただきました



 小羊が封印を解くごとに禍が地上を襲い、小羊が第7の封印を解くと世界が沈黙で包まれた後、7人の天使が現れて一人ひとりにラッパが与えられた。今度は天使が一人ずつラッパを吹くたびに禍が地上を襲う。第7の天使が最後のラッパが吹くと、最後の審判が行われる。
 ところで天使はいつラッパを吹く練習をしているのだろうか。今のこの瞬間にもきっと奴ら天使は練習をしている。その音は例えば起床の合図。例えば食事開始の合図。時間ごとの点呼の合図に就寝の合図。そして鍵を掛ける音に布が擦れる音。体中を伝わって聞こえる、己のココロが裂ける音。
 決して短くない時間を過ごした施設がその門を開いた時には、明るい空から「光あれ!」と聞こえるだろうかと思っていたのだけれど、漆黒の雲からは水が零れだし、そしてすぐにシャワー室になってしまった。
 震えていても泣いていても、シャワーの所為に出来るし、実際はその通りだから、本当に、情けない。
 迎えには迷うことなく戦友を選んだ。時と場所が違えども、お互いに死にかけた経験が共通点の戦友ほど、詮索しない気遣いが長けた人種はいない。
俺がここに現れる時刻が既に予定の2時間過ぎているにも関わらず、今は濡れ鼠になるのを構わず、彼はフィアット501の隣に姿勢正しく立って、俺の顔を認めると静かに首を垂れた。
 ラグが後部座席のドアを開きかけたところで、俺は助手席のドアを勝手に開けて乗り込む。ドアの開閉には、より細くなった腕では予想以上に力が必要で、傷だらけの手では触れるもの全てを汚しそうで、手荷物の小さなバッグを抱きかかえて顔を埋めて、現実を誤魔化した。
 右のドアが開きラグが乗り込む。少しして彼のヤッケを開く音がした。その音にすら身体が強張り、そのことにも俺は驚いた。フワッと頭に影が落ちた瞬間、反射的に顔を上げ右手で払いのけてしまった。しまったという顔の俺に対し、ラグの目が少し大きくなったものの、すぐにいつもの微笑みに戻ると、「そのタオル、念入りに洗いましたが、私の臭いがついてしまっていましたか。何でもココに入れていくのはダメですねぇ」とヤッケの内側を開いて見せた。
「雨が酷くなってきましたので、ゆっくり運転しますね。到着まで眠っていてください」
 そう言うと、エンスト手前な程にゆっくりと、501を動かした。
 あまりの穏やかさに、雨が屋根を叩く音に、家出してしまった眠りが俺のところに帰ってきた。
 着いた時には今度は太陽が帰っていくところだった。
「申し訳ないのですが、浴槽がありませんでして。温水シャワーで我慢してください」
 なかなかフィアットから降りない俺に「ああ、着替えは私のものでもいいですよね。用意します」といい、先に降りて小屋に入る。入口の扉は開けっ放しで、すぐに室内のランプが灯された。
 ふらつく身体を気合で動かし、光ある世界を目指していく。顔を撫でただけのタオルに泥や血がついていて、それが何故か可笑しかった。
 温かい水を浴びると、腹を抱えて笑い出してしまった。あまりに笑いすぎて、涙が出るほどだった。用意されたぶかぶかの白いシャツに着替え、漏れる光に導かれてキッチンに行くと、二つの缶詰を前に困った様子のラグを認め、俺は小さいほうの缶詰がいいと申し出た。
 よく考えれば、初めて発した言葉にしては傲慢だと気が付いた。缶詰を受け取って、心から感謝する、と言ったものの、「大げさですねぇ」とラグにしては珍しく声を出して笑った。
 食事が終わり、熱いコーヒーを用意している背中に、俺は覚悟を決めた。
 ラグがコーヒーの入った空き缶を持って振り向いたタイミングで、俺は席から立ち上がり、缶がテーブルに落ち着いたのを確かめてから、勢いよくシャツを脱いで見せた。
 膝が震えて、その場に立っているだけで限界だった。消えそうな声で、せなか、としか発せなかった。
 座ったままのラグが言う。「触れても?」
 俺は小さくうなずく。
 立ち上がって、数秒考えてから、またラグが言う。「正面から、抱きしめても?」
 俺は目を閉じ俯く。
 実際のところは数秒だっただろうが、先ほどまで二人で缶詰を突いていたくらいの時間をかけて、ラグは足を進め、腕を伸ばし、俺の頬に触れ、腕に触れ、肩に触れ、俺の右肩に顔を埋めた。ここに着くまでの車内と同じ配置。
「Go Down、ですか。いい趣味をしてますね」
 久々に耳にした低く冷たい声に、耳に掛かる息に、俺の身体から強張りが消えていくのを感じた。
 翌日には高熱を出してしまったため、その次の日にはラグが忙しかったため、その次の日はどうだったか忘れてしまったけれど、それから数日後に、まずは髪を切ってもらうことにした。
 俺の背中方向に鏡を置き、互いに向かい合って、ラグに抱きしめられるように後ろ髪を切ってもらう。俺は口にはしていなかったはずだが、背後に立たれることがまだ怖かった。それを知られた恥ずかしさは全くなく、逆に嬉しくて心が温かかった。
「文字のことですが」
 そう言いだしたのは、いつもの夕食、缶詰選び。嫌がらせに大きめの左側を差し出した時だった。
「やはり、上から塗りつぶすしかないですかねぇ」
 パンにジャムとマーマレードのどちらを選ぶかを数日かけて考えていたような、本人にとっては重要なことだけれど、俺にとってはどちらでも構わない悩みの吐露だった。いや、本当は俺にとって重要なことなのだけれど。
 胃袋に何かを入れた後だと吐くのは確実だと、残念ながら経験済みだ。人生、どんなことも役立つ知識になるものだ。
 今から始めようと言うと、ニッコリ笑って「お姫様みたいに優しくいたしますので」と応じられてしまった。

 お互いに裸になる必要はないのだけれど、一方だけが傷つくのは嫌だとし、「私は加虐趣味がないので」との言い訳と「我慢できなければ、噛みついても引掻いても構いませんからね」とラグは説明した。ドエムな男に興味はないよ、と囁いた後で耳を舐めて軽く噛んでやった。
 数日前からウォッカに漬け置きされていたサバイバルナイフを、ラグは静かに取り出す。俺はランプシェードを取り除く。裸で胡坐をかいた男の上に、胡坐を椅子にして裸の俺が座る。自分から裸の男に抱きついているのに、吐き気も寒気も眩暈もなかった。
きっと明日から暫くは、高熱で何も食えなくなるだろう。アスピリンと缶詰以外の食物をラグに要求してやろう。

『さぁ、これから思う存分、好きにしてくれて構わないよ。ラグトリフ』