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剪定

 ベッドの上にバサリと放られた花束で、俺は視線を上げた。
「快気祝いだ」
 そう言ったベルナルドは、入室と同じく、人の許可も取らずに側のスツールに腰を下ろし煙草に火をつける。
「そりゃどうも」
 膝に置かれたリリウムの花束を大した感慨もなく拾い上げ、サイドテーブルに置くと、煙草を咥えたベルナルドがじっと俺を伺っていて居心地が悪い。
「何の用だ?」
 結局自分の方がその沈黙に耐え切れず口を開くと、ベルナルドは咥え煙草のまま猫のようにクツクツと喉を鳴らして笑う。
「同僚の見舞いに来るのは、まずかったか?」
「今日まで一度も来なかった癖に」
 怪我が治るまでの数ヶ月、護衛付きで本部内の一室に押し込められてた間、一度も目の前の男の顔を拝んでいなかったので、どこか違和感が消しきれない。最後に顔を合わせたのは、クソギャングに襲撃される直前の執務室でだ。
 その時と1インチも変わらなそうな表情を浮かべていたベルナルドは、ひょいと女の顔を伺うかのように首を傾げる。
「お前の穴を埋めるのに右往左往してたんだ。感謝して欲しいくらいだな」
 ベルナルドがスツールに座り直し、僅かな軋みが耳に届いた。やはり視線はそらされず、居心地の悪さはひどくなるばかりだ。
「……悪かったよ」
 打ち消そうとした言葉と共に視線を外すと、ベルナルドのわざとらしい笑い声だけ耳に届く。
「で、今日は別れ話にでも来たのか?」
 顔を見ないままそう言うと、ベルナルドが笑うのをぴたりと止めたのでそちらを見ると、無為に真面目な顔をした男は考え込むように言う。
「お前は時々、オンナみたいなことを言い出すな」
「あんたなあ……」
 ベルナルドは煙草の灰をさっきまで俺が使っていたカップに行儀悪く落とし、俺が文句を言うより早く口を開いた。
「思い当たる節がいくつかあるんだが、どれか聞いてもいいか?」
 今にも指折り数え出しそうな言い草に、ため息が出る。
「前々から思ってたが、あんた無自覚に女の敵だよな」
 俺の言葉にベルナルドは意味のありそうな笑みを浮かべるだけで答えず、代わりに思い出したように新しい煙草を差し出してきた。
「吸うか?」
「ああ……」
 差し出されたフィルターを直接咥えると、ベルナルドは少し考えてからライターの火を俺の口元に近づける。
 煙草を吸うのは久しぶりだったが、ものを左手だけで支えるのにも慣れてきていたので、支障はなかった。
「本当に仕事に戻るつもりかと聞きに来た」
 煙草に火が移ったのを確認してから、ベルナルドは俺の右手があった場所を視線でなぞった。
「何も危険な場所に戻らずとも、引退の理由なら事足りるだろ?」
 ベルナルドの言葉に、襲撃された日を思い出す。確かに、死ななかったのは奇跡なくらいだ。失ったものは小さくはない。タトゥを失った今なら、ベルナルドの言う通り、役員にでもなんにでも身を移せるだろう。
「あんたの隣で仕事をするには、足りないか」
 何もないシーツの海に視線を落として言うと、またもう一度だけ、ベルナルドが微かに笑うのが聞こえた。
「……ああ、成る程。だから別れ話を持ち出した訳か」
 いやに感慨深く聞こえる声で、目の前の男はため息をつく。
「残念だが、それならお前にはまだ仕事はいくらでもある。休みの間に溜め込んだやつも含めてな。まずは、あちこちに挨拶回りに出てもらわないとな」
 俺の身の置き場も何に納得したかを棚上げしたまま、さっさと先の話に入ったベルナルドに今度はこっちが困惑する番だった。
「おい、話を途中でやめるなよ」
 話の腰を折った俺に、ベルナルドは再び、深々と息をはく。
「お前が引退するなら、体良く俺が面倒見れると思ったんだよ。色々手はずを整えるのにここのところ不眠不休だったが、無駄になったな」
 そう言いながら髪をかきあげる男は、確かに顔色がすぐれなかった。
「お前は思い違いをしてたな。無自覚のクズ、だったか?」
 改めて俺の顔を覗き込む男の言葉を頭の中で整理すると、整理した分だけ混乱する。
「そこまで言ってねえだろ」
 取り敢えず一つを否定してから、数秒考え込み、出た結論を口にした。
「……あんたは、俺を飼いたいって?」
 俺が訊ねた言葉に、ベルナルドは唇だけで“Si”と答えると、俺の肩からぶら下がったシャツの袖を取って、そこにタトゥがあったころと同じように口づける。
 唇がそこに触れるのが見えた瞬間、ぞくりと、もうない腕が微かに濡れた幻影を伝えた。
「そんな怯えた顔するな」
 自分が無意識にどんな顔をしていたのかは分からないが、ベルナルドは俺の口にしていた煙草を取り上げて自分の咥えていた煙草ごとサイドテーブルの灰皿に放ると、性急に俺をベッドに押し倒す。
「おい……」
「大丈夫だ。人払いはしてある」
 セリフもそこそこに人の服をひっぺがし始めた。
「あんた、最初からそのつもり……いやいや、この場合、俺の身が大丈夫じゃないだろ?」
 片手だけでは大した抵抗も出来ず、かと言って足を使うのもはばかれてもがくが、ベルナルドは涼しい顔のままシャツのボタンを外していく。
「んー? 抵抗するのか?」
 嬉しそうな男を前に、ふさがったとはいえ自分の腕の傷が気になった。頬の傷と変わらないとは思う。思いはするが、見た目に醜いものをわざわざ見せる趣味まではなかった。
「ベルナルド……!」
 思わずベルナルドのネクタイを引くと、漸く服をはいでいた動作が止まる。
「オンナ脱がしてる気分になってきた」
 自分の唇を舐めてみせた男は、それだけで作業を再開し始めた。
「勝手に盛り上がるな!」
「お前だって盛り上がってるだろ?」
 股間をなで上げられて、思わずネクタイを掴んでいた手を離した。俺を上目使いに見ながら、仕事の時と似た笑みを浮かべるベルナルドの顔面を殴りたくなる。
「おっさん!」
「おっさんだがなにか?」
 不毛なやり取りをしている間にボタンをすっかり外されたシャツを引っ張られた。
「っ、ん……」
 引っかかっていた袖が塞がった傷痕をなぞり、シーツの上に投げられる。
ようやく自分は見慣れてきた肘から先の消失した腕の断面を、ベルナルドがまじまじと見ていた。
「おい、ベルナルド……」
 呼ぶと俺に伸し掛っている男はワンテンポ遅れて俺に意識を向け、微かな吐息を漏らす。
「想像したより、興奮する」
 人としてどうなんだと問い詰めたいセリフを抜かしたベルナルドに、思わず動きが止まった。
「あんた、どんだけ変態なんだよ」
 殆ど無意識に口から出た言葉に、ベルナルドはにやりと口角を上げてみせた。
「安心しただろ?」
 ベルナルドが目の前に現れなかった数ヶ月間、無駄に思い悩んだ女々しい自分を言い当てられたような気がして、かっと顔が熱くなる。
「……あん、た……なあ……」
「塞がる前にこうしたかったが、流石にジャンに止められたよ」
 言い淀む俺に対してさらに爆弾発言を投下した男は、涼しい顔のままさらに俺に身体を寄せた。ベッドが二人分の体重にギシリと軋み、久しぶりに感じる体温とベルナルドの匂いに目眩がしてくる。
「どこまで本気なんだよ、あんたは……」
 今は唯一の手でベルナルドの髪に触れると、軽くかわされ、すくい上げられた指先に口づけられる。
「全部って言ったら、信じるか?」
 まるで本心の見えない一言にこれ以上なく困惑すると、ベルナルドは笑って「冗談だ」と囁いた。
 結局、どこまでが本当か言わないまま、俺の目を見据えたまま男は俺の腕の無くなった場所に唇を近づける。息が触れるだけで怯えるように身体が動いてしまったのを、ベルナルドは気がつかないふりをしたまま、ちゅ、と盛り上がった肉の場所に口づけた。
「っン……ベル、ナルド……」
 もう先のない――それでも時折、腕があるように錯覚する場所に濡れた感触。まだ自分で触れるのにも躊躇する場所にキスをされ、神経に直接触られるような、不可解な感覚に声が上擦った。
「気持ちいいのか?」
「よく、分からん……」
 上手く理解できない光景に、そのままを口にすればベルナルドはまた嬉しそうに笑い、顔が近づく。
「首輪は諦めるが、今だけな」
 呼吸の届く距離でそう囁くと、唇を柔らかく重ねられた。何度か、触れて音をたてるだけのティーンのようなキスに、触れていなかった時間が簡単に埋まってしまう気さえする。言われた言葉は、今は聞かないことにした。
「……あんたはずるい」
 キスを交わしただけで息が上がってしまっていることに自嘲しながら、そっとベルナルドの頬に手を添える。
「お前ほどじゃないだろ」
 また俺には分からない言葉を吐いて、ベルナルドは俺のスラックスを脱がしにかかった。
「どこがだ」
 もう無駄な抵抗はせずに腰を浮かすと、何故か一瞬きょとんとした男は笑みを深め俺の尻をするりと撫で、下着ごとスラックスを足首に引っかかるまで引っ張る。
「そういう、無自覚なところがだ」
 今度はもう、俺の返事も聞かずにベルナルドが俺のヘソに変態じみたキスを落とす。くすぐったさに苦笑すると、今度は腹筋を指先でなぞられ、そのまま茂みに指を差し込まれる。
 髪に手ぐしを通すかのように撫でた手指が、半ば起き上がっていたペニスに触れ、女の足でも持ち上げるように裏筋をつっと撫でて行く。
「遊ぶなよ」
 撫でる指と掛かる息だけで用意に硬くなっていく自分自身に、多少なりと羞恥心を覚えて呟いたが、ベルナルドは嬉しそうな顔を見せるだけで手を止めやしない。まあ、こいつが俺の言うことを聞くなんて、少しも思ってはいないが。
 先に溜まってきた粘液を伸ばすように扱かれながら、荒れてきた息をなんとか手で押さえつける。俺に快楽を与えるばかりで自分は脱ぐ素振りを見せない男に、ふと声を掛ける。
「挿れないのか……?」
 言ったそばからまるで先を自分が強請っているようだと焦ったが、ベルナルドは顔を上げ何でもないように首を横に振った。
「それはまた日を改めるさ。褒めていいぞ?」
 普段は無茶苦茶をする男が身体を気づかってかそう言ってくるのは、悪い気はしない。
「今は触れるだけで割と満足だな」
 酷く甘ったるい言葉を投げかけられて、今度は俺の方が頭を振る番だった。
「カヴォロ。言ってることがさっきとは逆だぞ」
 ベルナルドは俺を上目づかいに見てから、ちゅっと音を立てて俺の腹にキスをする。
「お前は俺なんかに捕まらないからこそ、いいんだよ」
 俺の知らないところで勝手に諦めるようなセリフに呆れながらも、ベルナルドの髪を撫でた。
 ベルナルドが俺の一つ欠けたことを許すのなら、また一つベルナルドの性癖を許してもいいように思える。まあ、許せる範囲ならだが。
 そもそも、自分が突っ込まれるのを許しているのが最大の譲歩なのだから、これ以上何をされても同じな気がした。
「ルキーノ……そっちの、腕を」
 黙って髪を撫でられていたベルナルドがうっとりと言うので、言われるまま、肩を動かす。
 何をする気なのかは分かっていた。潰れて、肉の盛り上がった――痛々しい縫い目が目立つ腕を、ベルナルドに差し出す。
 口元に貼り付いたみたいな笑みを浮かべたままの男が、赤い舌を出してその先を舐め、吸う。
「……、っ…………ァ、…ぅ」
 ペニスを扱かれながらなせいか、今度こそはっきりとその感触は快感だった。傷を強く吸われると、直接神経を引っ掻かれているような刺激に、ベルナルドの手の中でビクビクと自分の性器が反応している。
「気持ちいいのか」
 ベルナルドも問いかけるというよりは断定で言って、俺は涙の浮いた視界の中で小さく頷く。
 視界が霞んでいても、ベルナルドがどんな顔をしているのか分かったし、何を言うのかも分かった。
「愛しているよ、ルキーノ」
 想像通り、ベルナルドはこの上なく馬鹿な呟きをして、俺はその馬鹿な男の手の中に精液を吐き出しながら、声もなく笑った。