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幸せになりたい

 傍らに眠る猫を撫でながら、ぼんやりとレースのカーテンの向こう側を見ていた。キッチンの方から、つけっぱなしになっているラジオが潮騒に似たノイズ混じりに穏やかな歌をうたっている。向こう側の夜の街で、淡い街灯が星のようにちらついていた。
 俺の好いている匂いがする。
 指先に柔らかな感触と何の痛みのない身体で感じる、朝方手前のまどろみは余りにも甘ったるくて、夢の続きのように思えた。
 身じろぎをした猫が「ヘタクソ」と呟いたので、自分が何かを口ずさんでいたことに気づいて、苦笑する。
 猫の片目は開かれて、食器に一滴落とされた血のような色が俺の目に焼き付く。いつだって、その色は俺には眩しく鮮やかだった。
 幸せそうに見える顔で猫はまた目を閉じ、くるくると喉を鳴らす。冷えた肌に、猫の体温は心地よかった。
 明日死ぬとしても、ここにあることは幸福か、と取り留めもないことを思った。
 きっと幸福だ――人生は、楽しいもののはずだと、あの男は言っていたのだから。

 眠りに落ちかけた俺の耳に、にゃあ、と応えるような鳴き声が聞こえた。


*


 幸せになることから逃げ回るような男を好きになった。
 他人を甘やかすことでしか他人に甘えられず、自ら貧乏くじを選んで引き抜いては降りかかる不幸に酔いつぶれることでしか自分を保てない男だ。
 孤独とは誰よりも上手く踊れる癖に、本来付き合うべき他人と関わる一線で人を無条件に信じすぎて、それ故にどうしようもなく嫌っている男だった。他人を区別し、他人を好いていた俺とはまるで逆で、その癖まるで同じだった。
 お互いに、幸せになることを諦めていた。
 そうなる方法は知っていたけれど、そうなるために誰かに助けを求めるには、余りにも俺達は臆病過ぎた。

 夜気の入り込む窓を閉じると、ゆらゆらと幽霊のように揺れていたカーテンが動きを止める。ベッドで眠っている猫の耳がピクリと動いたが、それだけだった。
 人形を抱く少女の死体のように、俺の気配にも気づかず猫を抱いて眠る年上の男の髪を撫でる。柔らかく、男にしては細っこい髪も、その下に隠れている首筋も肩も、俺は好きだった。
 この男がそれこそ似合いもしない猫を抱いているのは、そこに夢を見ているからだった。目を覚まさせてやれるのはきっと俺だけだったが、俺もここから目覚める勇気はなかった。
 たまに気まぐれに同じ部屋に帰り、生活をすれ違えさせて――それだけの、同じベッドを温めることすらしたことがない関係。
 子供のままごとにも劣る関係は、始まってしまえば終わらせることさえ耐え切れなかった。
 抱き合うために指を触れ合わせることすら出来ない俺達は、きっと自分ではない誰かと、幸せになりたかった。