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 説明の出来ない物事を自分の中に抱えられるタイプではないのだけれど、自分に「それは恋か」と問いかければ首をかしげるほかなかった。かといって「恋でない」と言い切れるほどの感情でもない。
 友人以上、恋人未満? なんて、今の状態の俺を見たらジャンあたりは言いそうだなとも思う。それとも、親愛なるファミーリアの他に何があるとでも?
「胃の痛そうな顔をしてる」
 ほんの至近距離で、目下悩みの種になっている男が俺の髪に触れていた。自覚がある程度には伸ばしすぎた前髪を、指で避けて表情を伺っている男は、俺が意図的に外交に使う程度に見目麗しかった。
「お前が良い男過ぎてな」
 俺の嫌味を照れるでも謙遜するでもなく、当然の態度で受け取って鼻で笑ったルキーノは、これも当たり前だという顔で俺の手を取った。完璧ではあるが教科書通りと言うにはまた違う、どこか大仰な仕草は人の目を引く。ああ、それがまた腹立たしい。
 車の後部座席からたった一歩の距離のエスコートが、まるで映画の演出のようだ。この男でなかったら、逆に滑稽になるほどに。
 見慣れたストリートの街灯が眩しすぎた。
「惚れたか?」
 指先が離れて、見つめた先に目を細める。
 惚れたとか、そういう“はじまり”なら、俺はこんなにも迷わなかったかもしれない。
 一度離れた指が勝手に跳ねて、その微かな震えはまたルキーノの手指に拾い上げられた。視線を上げるまでもなく、唇にぬるい体温が触れて、それから慣れた自分のものでない煙草の香り。
 俺に口付ける男が、眼鏡を避けてキスをするのに慣れてるのが自分のせいだと思うと、居心地が悪い。その癖、じわりと熱と男の癖に唇の柔らかさが確かに気持ちいい。かすめた視線は一瞬笑って、瞬かれた。いつも、それだけだ。
 親愛のキスとは違うが、恋人同士でするとも違う。指先を摘むようにあった手が、今度こそ遠ざかる。ようやく、甘く重いムスクの匂い。
 もう随分とお互いに、隣に居過ぎた。
 友人であって、それ以上に家族であって、――だったら今、この状態は。
「このまま、お前とホテルになだれ込んでセックスする方が楽な気がする」
 唇に指を触れさせながら言って、後悔はなくても戸惑いだけは残った。
「――かもな」
 すれ違ったルキーノが俺の背後で俺が今しがたくぐった車の扉を閉める。ライターに火のともる気配がする。
 深夜まで籠城していた執務室から連れ出され、そうなることを少しも期待しなかったわけではない。実際に目の前にあるのは、本部からほど近い、仮眠の取れる自分の事務所だったが。
 いや、本当に俺を友人として、ルキーノらしいお節介さで寝かしつけるだけなら、本部の部屋だってあった。痛いほど、同じ思いを感じた。だから、振り返られない。
 血で誓い合った繋がりを、いまさら生臭いもので上書きするには俺たちは時間がかかりすぎた。そのためらいのせいで余計に、背筋を焼くような熱に苛まれてもいる。
 仕事をしている時間のように、ルキーノは俺に煙草を勧めたりしない。ただ、俺の後ろ髪に手を伸ばして触れて、…………唇と息がかかるのに、俺は何を言うことも出来ない。
 自嘲するような舌打ちと、ため息が聞こえた。吐き捨てただろう煙草を、ルキーノが石畳の上で踏み消したらしかった。 「ちゃんと寝ろよ、ベルナルド」
 らしくない戸惑いを隠そうとするような声があって、ルキーノは俺を連れ出した時と同じように自ら運転して立ち去った。俺がようやく振り返った時には、角をテールランプが横切っていくのだけが見えた。
 この暗さだ。写真を撮られることもないだろうが、見られでもしたらどうするつもりなのだろう。あいつもだが、俺自身も。
 三十過ぎの、俺に至っては四十も近い男がするには、不格好なままごとだった。恋というには収まりが悪く、気の迷いにしては冗談で済まない。
 いつまでもそこにたたずんでいるわけにもいかず、ふらふらと事務所に歩き始めた。動き出すと、ふわりとルキーノの匂いがした。煙草と、自己主張の強いムスクと、あいつ自身の脂の匂い。
 この残り香にベッドの中でマスをかくのを想像した。した瞬間には、今度こそ後悔した。セックスに発展したほうがよっぽどマトモに思えた。下手にお互いに正気なせいで、転がり落ちるには足りない。もどかしい。
 触れるだけで下手なセックスより気持ちのいいキスは、けれど、今の二人にしか出来ないのも理解出来ていた。
「……ファック」
 ルキーノがさっき一人で煙草と共に石畳に投げ捨てただろう感情をひとこと、俺も吐き出すほかなかった。