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Smoke Gets In Your Eyes

 吐き出した煙が、薄闇に吸われて視界から蕩けるように失せていくのを眺めていた。
 固く凍りついた根雪をガリガリと踏み歩くと、ガキの頃に戻ったような懐かしさを覚える。護衛なしに夜道を行くのが随分と久しぶりだったからかもしれない。
 花街の遠い喧騒をBGMに、通りに出てタクシーでも拾うかなどと考えて歩いていると、不意に背後から眩しい光を浴びせられた。
 何気なくそちらに顔を僅かに向けると、光の主――フォードが徐行して真横に停止した。そのまま運転席の窓越しに、見慣れた顔があった。開かれた扉の隙間から入り込んだ凍った夜風に、アップルグリーンの髪が揺れる。
「この寒空の下、どこの酔っ払いが呆けているのかと思えば」
「なに言いやがる。似合うだろ?」
 チビた煙草を掲げ、女にするように目を細めて口角を上げて見せると、ベルナルドはふっと笑った。
「夜道は危ないぞ、色男」
「カタが付いたと我らがカポが宣言しただろ。言わせたのはお前の癖に」
 軽口を叩いた端から非難めいた視線をベルナルドは向けてくるものだから、俺は苦笑して肩を竦めた。
「ハイスクールの教師かあんたは」
 言葉の通り、教師に見つかったガキのように煙草を摘んで投げ捨てると、心配性というよりは神経質な性格からお節介をしてくる上役に嫌味を投げつける。
「去年から働き詰めな上に息苦しい生活強いられてたんだ。そんな可哀相な男の散歩を邪魔してくれたってことは、送っていってくれるんだろうな?」
 ん? と問いかけると、ベルナルドはようやく固くしていた表情を緩めて答えた。
「……先客がいるんだが」
「先客?」
 ベルナルドが人の気配のない後部座席に目配せしたのにつられて、視線を動かす。スモークガラス越しには何も見えないが、察した。
 カタは付いたが、――後始末が少し残っていたのだろう。
「通りで地味な車に乗ってると」
 俺の言葉に、男は髪を撫でてさっきまで自分が吐き出していた煙のようにつかめない笑みを浮かべる。
「エスコートなら俺の得意分野だな」
 そう言って返事は聞かずに助手席に回り、ドアを開けた。
「お前好みのレディじゃないぞ」
 諦めの色の混じる、呆れた声音を鼻で笑う。
 勝手に車に乗り込む横目で、後部座席に麻袋らしい塊を確認してシートに身体を沈めた。
「レイディかどうかも怪しいところだ」
 俺の言葉にベルナルドは声を殺して笑った。

*

「これで、終わりってことか」
「とりあえずな」
「まさか年明けまで掛かるとはな」
「ん、ああ……」
 妙に歯切れの悪い言葉に、ついっと運転席を見やる。ガス灯の明かりが時折入るだけのそこで、ベルナルドの表情は読めない。
 後部座席に転がっているものは『暗室』から運ばれたのだろうが、最近そこに誰かを入れたという話は聞いていなかった。
 襲撃ならば掃除屋がいる。そもそも、筆頭幹部が直接後始末していること自体、多少不自然なのだ。
「……後ろの、何に使ったんだ」
「お前は察しが良くて嫌になるな」
「ダマせるのはジャンまでだろ。……隠したいなら乗せるな」
「無理矢理乗ってきたのはお前だろ」
 そうベルナルドは零したが、言葉で躱す事を得意としている癖に。無言の内に責めると観念したように重い口を開いた。
「――……ジュリオが捕まえたロックウェルの警官だよ」
「は?」
 予想外だった台詞の意味を理解するのに、数秒を要した。
 俺はよっぽど間抜けな面を晒していたのだろう。ベルナルドは真っ直ぐと前を見たまま、ふっと息を漏らす。
「おま……え、いつの話だよ」
 それで俺はまだ乾きかけの去年の記憶を探る。抗争の最中、好き勝手やってくれた『そいつら』を偽装したパトカーごと、イヴァンの息の掛かった倉庫に運び込んだこと。情報は即日絞り終えていたはずだ。
「半年は経ってないだろ?」
 人質にもならない、組としては用途のない奴の口を塞がず生かし続けていた理由に、その一言と表情で勘づいて、恐ろしさよりこの男のどうしようもなく歪んだ恋慕に呆れが来た。
「…………どうやってそのツラをジャンに隠し通してるんだが」
 俺の知っている幹部筆頭殿は、知り合った当時から冷酷無慈悲に職務を全うする完璧なコーサ・ノストラで、ジュリオとは別の意味で人間味の無い奴だと、どこかで思っていた。
 おかげであのムショに入ってすぐ、ジャンにだけ見せる友人というより、兄のような父親のような視線には度肝を抜かれた。――それの正体を理解したのは、デイバンに帰還してからだったが。
「俺はお前にだって優しいだろ?」
 飼い主に見せる笑みとは微妙に温度の違うそれに、「どこがだ」という気分になって口を噤んだ。
 明確に言葉にはしないが、ベルナルドが隠し続けている感情に俺が気づいていることを、彼もまた察している。
 マッドドッグが確かな意味でラッキードッグのものになったと俺もベルナルドも気づいた時から、彼は俺に隠す素振りすらやめた。
 俺に自らの弱みを晒すことで、彼らを見守ることを無言で俺に強いている。その諦めの早さや捻くれ加減に、もどかしさを感じる。
 感じはするが、言葉にして投げかけられる距離にこの男は立ってくれない。器用なんだか不器用なんだか。
「ジャンに振りまいてる愛想はいらんが、可愛げは欲しいな、moneta」
「そう呼ぶなら、俺の采配を信用してもらいたいところだが?」
 敵わない言葉に溜め息を吐いて、もう一度、後部座席を見る。
 麻袋三つ分になってしまったシンプルな塊に、多少の哀れみを覚えた。
「……あんたの八つ当たりを一身に受けるなんぞ、生まれてきたことを後悔しただろうな」
「してたよ」
 あっさりとベルナルドは含み笑いで言い捨てたので、溜め息を上書きすることになった。
「今日は慰められたい気分なのか、ベルナルド?」
 俺の言葉に、ベルナルドは何も答えない。
 この稼業に身を晒している時点で、穏やかに訪れる死に様なんぞ望めもしない。俺もこいつも、肉塊になった連中も。
 ただ、彼らがこの世の地獄を見た甲斐もなく、ベルナルドの中には虚しさだけが残されているのだとしたら、と考えれば哀れに思う。
 やがて、車は運河に掛かる橋に差し掛かり、ゆっくりと徐行し始めた。
「……多少はナーバスになっているかもしれないな」
 随分と悠長に返ってきた返事に舌打ちをする羽目になった。
「面倒臭い男だな」
 車は停止し、サイドブレーキが引かれる。
「よく知ってるだろ?」
 ようやく、ベルナルドは俺の顔を見た。
「改善する気はねえってか?」
 横顔ではなく、暗がりに張り付いたような笑みを浮かべる男の顔は、普段は装っていても俺と同じ闇を歩く人間そのものだ。
「この年になると無理だな。お前もだろ」
「俺はあんたほど枯れてねえよ」
 舌打ち交じりに言うと、ベルナルドはそうか、と囁いて車を降りた。
 後部座席の扉も開かれ、いつもの銀行員のようなツラに戻った男が麻袋をひとつ引き出して高欄に歩いていく。
 荷物はまだ残っているのに、律儀にドアを締める様子をバックミラー越しに見送ってから、俺も車を降りた。
 車の周りを回って、同じドアを開けた時には背後から水音がした。そこに感傷はなかったが、別の意味で嫌な気分になった。
 どうしてだか、完璧な男が無理をしているような気がしたのだ。コレはたまに頭をもたげる、性質の悪いお節介だろうが。
 残っていた麻袋を二つとも持ち上げると、中でゴロリと塊が動くのが掌に伝わった。
「……ん」
 戻ってきていたベルナルドが手を差し出したので、麻袋と彼の顔を見比べてから、一つを差し出した。
 俺の躊躇にベルナルドは僅かに怪訝な表情をしたが、麻袋を手にするとすぐに背を向ける。
 その後を追うと、本当にただ行員が金を運んでいるだけに錯覚しかけた。
 そうして、コーサ・ノストラとしてのこの男のツラと、叶わない恋に殉教しようとする、どうやったって理解出来ない哀れな男のツラがどうにも一致せずに、自分の中で剥離しているのだと気づいた。
 口にはしないが、どこか憧れと嫉妬を持っていた年近い上位の男、の――その弱さをようやく見つけて、今更になって友人のような近しさを感じてしまった違和感なのかもしれない。
 ベルナルドは俺の目の前で柵に手を掛け、持ち上げた袋を運河に投げ捨てた。
「――、」
 声にはならず、息を飲んだ。
 初めて見せた顔だった。ムショにブチ込まれた日に、ベルナルドがジャンを見つけた時に見せた表情とよく似ていて、咄嗟に視線を逸らし自分の手に残っていた麻袋を同じ場所に投げ捨てた。
 黒い水面から返って来る水音は、そうある筈がないのにどこか鐘の音に似ている気がして、ベルナルドと同じ顔を、いつか教会で見たことがあったのを思い出した。年若い息子を亡くした、老婆の表情に――。
「……なんてツラすんだ、あんた」
 ジャンに見せる甘さを知ってから、この男に驚くことなどもうないと思っていた。
 ああ、むしろ知ってしまったから気づいたのか。もうずっと昔から、ベルナルドはあんな顔をしていた筈だ。
「ん……?」
 俺の言葉を理解できないベルナルドに、それでも言ってしまう。
「羨ましいのか」
 無為に優しい声が出た。
「――――そう見えるか」
 笑う顔は俺のその声よりも体温があった。
「……否定しろよ」
 引っ込みのつかなくなった話題を終わらせる方法も分からず、誤魔化すようにベルナルドのポケットに勝手に手を伸ばして、そこに仕舞われているシガーケースを引っ張り出す。
「否定しても、お前は満足しないだろう?」
 自分のもののように勝手に甘い香りの濃い煙草をくわえると、ベルナルドも構わずライターの火を俺の口元に近づけた。
「あんたが俺を納得させるために生きてたなんて初耳だな」
 淡いオレンジに照らされてなお、顔色の優れない男に苦笑して、火の移った煙草を手の中でくるりと返すと、そのまま相手の唇に押し付けた。
「あいつを護るために、あんたは俺を道連れにするのを決めたんだ。だから俺には嘘を吐くのをやめたんだろう、ベルナルド」
 確定的に言ったけれど、唐突に口に咥えさせられた煙草に面食らっていたベルナルドは、やがてゆっくりと目を細めた。
「……気づかない振りだって出来るだろうに」
 男は煙草の煙を吐き出し、白い闇の中でまた嘘も吐く。
「晒してるのは、あんただろう」
「そう見えるか」
 もう一度、ベルナルドは同じ言葉を言った。
「違わないだろう」
 代わりに、さっき言えなかったことを口にする。
「そうかもな」
 それでベルナルドは酷く満足げに笑ったので、今しがたした会話をぐしゃぐしゃに丸めて投げ捨てたいような気持ちになった。
 死にたがりに関わるなんぞ、主義の反するのに。
「…………くっだらねえ」
 自らの煙草を咥え直して、ベルナルドが手を伸ばす前に自らそれに火を灯す。
「俺がか?」
 わざとかと思うタイミングで発せられた声に不機嫌になる顔を隠せなかった。
「自覚がある分、あんたは嫌な奴だよ。昔っから」
「褒めても何も出ないぞ」
 吐き捨てた言葉は再び茶化されたので、届かない手で自分の頭を掻きむしった。
「あんたがどう思おうと、俺も好き勝手するがな」
 そう言えば、堪えきれないとばかりに、ベルナルドは煙草を指に挟んだまま喉を鳴らして笑う。
「わざわざ宣言するまでもないんじゃないのか?」
 これ以上、何を言っても無駄な気がして、黙った。代わりに、ベルナルドの手指から煙草を奪って、言葉通り好きにした。
「…………――思ったより馬鹿だなあ、お前」
 もう笑っていないベルナルドが泣き出しそうな声で言ったので、今度は俺が微笑む番だった。
「あんた程じゃない」
 濡れた唇に煙草を戻してやると、ベルナルドは「そうだったな」と微かに呟く。
 そのままベルナルドの顔は見ずに、彼が帰りを切り出す少しの時間を待っていた。