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ネバー・モア

 人生に降り掛かる試練は、父の分け与えたもうた試練なのだ、と。
 ――それが生きる為の言い訳なことくらい、強く信仰を持つ彼にも分かっていたに違いない。
 だから、彼は神を憎んだのだし、嘆き、目の前に並べ立てられた真実を否定した。
 彼がまた穏やかに息をし、自立出来ているのは、信仰が僅かにも力にならなかったとまでは言わないが、やはり彼自身の力が殆どなのだろう。
 そんな取り留めのないことを考えながら、自分のデスクの斜め前、ソファに座ったまま新聞を眺めている男の後頭部を眺めていた。
 赤毛の男の肩越しに昇る細い煙は、半ば上ったところでシーリングファンの影響で色が掻き消されていく。
 その普段と変わりない光景を、どこか夢の中の出来事のように思った。
 意思の外側で、慣れた手が定位置にサインを書き付ける。
 ペンをぱたりと机に寝かせると、気配を察したルキーノがこちらを見た。
「終わったか?」
 そう言って人懐っこい笑みを見せたルキーノに、頷き返す。
 彼が荒れていた時期に、すぐにでも殺したいと声ではなく訴えていた視線の片鱗すらない表情に、今更違和感を感じた。
 罪悪感に似た、優しくされる謂われが自分には欠片だってないと、叫び出したいような――。
「ルキーノ」
 煙草をくわえたままデスク前に来たルキーノに、出来上がった書類を差し出しながら、殆ど無意識に名前を呼んでいた。
「ん?」
 書類をはらりと机に落とし、受け取ろうとした手を掴んで引き寄せる。そのまま口づけたら、うろたえたような息があったが後は受け入れられた。
「……どうかしたか?」
 離れた至近距離でルキーノが問いかけ、言われてから理由を考えた。
「昼間出してくれた領収書、10枚目までしか報告に覚えがなかったんだが」
 思い当たった言い訳を口にすれば、視線は斜めにそらされる。
「――残りの5枚分、補填してやらんでもないぞ」
 首をかしげると、そろっと戻ってきた視線が伺うように俺を見た。掴んでいた腕を放し、頬の傷を指先で辿るようになぞる。
 瞬き数回があって、溜息がこぼされた。
 中途半端に浮いていたルキーノの手が伸びてきて、髪に触れる。目元にキスを、そのまま頬をかすめ俺の唇をついばみ、耳に直接触れた濡れる唇に愛を囁かれた。
 流し込まれる言葉と息に背が震える。どうしてか泣きそうな自分に、本当に馬鹿だとどこかで呆れながらも笑って、大人の顔を取り繕い仕方ないな、と返した。
「仕方ないのは、あんたの方だ」
 心底うんざりといった声を漏らし、ルキーノは机から書類を拾い上げる。微かに紅潮した頬が、それだけではないと言っていたので俺は満足した。
 ぶつくさ言いながら、手にした書類の内容を確認しているルキーノの顔を眺め、やはりあの頃を思い出した。
 手負いの獣のようだったあの頃もまた、お前は美しかったと言えば、今すぐにでもこの関係は終わるのかもしれない。お前が思うほど、俺は愛される価値などないと知りながらも、口を噤む。
「ん、大丈夫そうだな。助かったよ、ベルナルド」
 また一つ、笑顔を向けられて返す。
「お前の頼みならな、ハニー」
 あからさまに見せた嫌な顔にさえ、ああ、――どうしようもない。
「……愛してるよ、ルキーノ」
 懺悔でしかなかった囁きは、きっとどこにも届かなかった。